サッカーの話をしよう

No.115 移籍金は違法か(下)

 「プロ選手とクラブとの契約が満了した後にも、クラブに保有権を認め、他のクラブと契約するには移籍金が必要だとするする慣習は違法だ」
 ベルギーのプロ選手ジャンマルク・ボスマンが、ヨーロッパサッカー連盟とベルギーサッカー協会を相手にEU(欧州連合)の最高裁で起こした訴訟の波紋は大きく広がっている。

 サッカー界は反発する。
 「保有権を認めなければ選手を育てる者などいなくなってしまう」
 アメリカや日本では、学校がプロへの主な選手供給源。だがヨーロッパでは、少年を育成するのは地域単位のスポーツクラブだ。

 浦和レッズで活躍するブッフバルト(ドイツ)の例で見てみよう。
 彼は8歳で地元のクラブにはいり、17歳で大都市シュツットガルトの「キッカーズ」に移籍。トップチームは全国リーグ2部に所属し、大半はプロというクラブだ。1年間ユースでプレーした後、実力を認められて18歳でプロ契約。そして4年後。同じ町の大クラブ「VfB」に移籍した。
 成長し、力をつけるごとに大きなクラブに移籍していったブッフバルトの成功は、彼が所属した全クラブの喜びでもあった。プロ契約時に最初のクラブに「能力開発費用」が支払われ、プロとしての移籍には「移籍金」が伴ったからだ。

 ドイツにはたくさんのクラブがあるが、トップリーグに参加できるのはひと握りの大クラブにすぎない。残りの大多数は選手を育てながらそれぞれのレベルのリーグで戦う。そして中小のクラブの存立は、移籍から得られる資金に負う部分が少なくない。こうした資金の流れは、次代の選手育成と同時にスポーツの大衆化にも貢献しているのだ。
 今回ボスマンが勝訴したら、中小のクラブの多くが経営困難に陥ると予想されている。だが大クラブが楽になるわけでもない。これまでの移籍金が「契約金」として選手の口座にはいることになるだけだからだ。

 現行の日本協会の移籍規定では、アマチュアが移籍してプロになる場合は「トレーニング費用」、プロがプロとして移籍する場合は「移籍金」が発生する。ただし請求できるのは「営利法人」だけ。学校を卒業した場合は移籍にはならず、学校や企業のサッカー部自体は「営利法人」ではないから、実際に請求できるのはJリーグ内の移籍だけということになる。
 92年秋、Jリーグの開幕間近に改正されたこの規定は、資金力のあるクラブがむやみに有力選手を集めてリーグ戦の興味をそぐことがないようにという配慮が反映されたものだ。
 だが現在では、その細則に定められた「移籍金算出基準」があまりにも高いため(20歳の選手の場合、年俸の7.5倍)、ほとんど移籍できない状況だ。

 「ボスマン事件」は来年のはじめにも判決が下されるはずだ。その拘束力はあくまでもEU内に留まる。だが、その影響はすぐに世界に及ぶだろう。
 日本のサッカーも、今後10年間に本格的な「クラブ時代」に進んでいくはず。となれば、「対岸の火事」どころではない。
 まず第一に、移籍とは何か、日本サッカーの発展にどのような意味をもっているのか、考え方をしっかりと整理する必要がある。同時に、トラブルなく移籍をコントロールするためのシステムづくりが急務だ。
 ドイツのように移籍を通じて選手を育成しながら、多くの人がサッカーを楽しむ環境をどう整えるかも、重要なテーマとなる。
 ベルギーの一選手が日本のサッカー界につきつけた問題は小さくはない。

(1995年8月22日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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