サッカーの話をしよう

No.88 自立した大人をつくろう

 数年前から、全国の少年のための「サッカー手帳」をつくる仕事を手伝っている。今年度版をつくるにあたって大きな方針にしたのが、「自立したサッカー選手をつくる」というテーマだった。

 「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という言葉を紹介したのはドイツのデットマール・クラマー・コーチだった。
 少年たちが誰の指導も受けずに自由にサッカーを始めると、最初はボールしか見えず、個人の力だけで攻めようとする。時を経るにしたがって次第に周囲の様子を見ることができるようになる。すると少し離れたところにフリーの味方がいるではないか。それを生かしてやれば、もっと楽に攻められるはず。こうしてパスが生まれる。
 さらに進むと、協力し合って試合を進めるチームプレーが出てくる。互いの長所を生かし、短所をカバーし合ってチーム力を高めようという努力も生まれる。少年は「自立」して大人になり、一人前のサッカー選手になっていくのだ。
 サッカーというチームゲームに真剣に取り組むことによって少年は自然に自分で考え、仲間と協力し合う道をみつけていく。それがクラマーの言葉の真意だ。

 ところが、サッカーが盛んになればなるほど、日本では「自立」した選手が見られなくなっている。
 テクニックや肉体的能力はすばらしくても、ちょっと注目されると自分を見失ってしまう若者は驚くほど多い。Jリーグ誕生とともに、次つぎと「新スター」が登場したが、数カ月のスポットライトの後に輝きを失った例は少なくない。
 原因は、少年のころからの指導過多にあるのではないか。熱心な指導自体は非難できるものではない。だがその指導が、「すべてを教える」という方法であれば、少年たちの自立する力は阻害される。
 一から十までを教え込まれ、自分で考えたり仲間と協力し合う道を苦労して探すなどの経験をもたなかった少年は、「自立」することなく高校を終え、Jリーグにはいってくる。最初は無我夢中にやり、才能のおかげでうまくいく。だが一瞬輝いても、すぐに壁に突き当たる。そしてその壁の正体がわからず、ただイライラとするばかりだ。

 3シーズン目を迎えたJリーグも、壁に直面した若い選手そのもののように見える。過去2シーズン、クラブは無我夢中でいろいろな努力を積み重ねてきた。その成果はすばらしいものだった。スタジアムはいつも満員になったし、社会の認知度も予想をはるかに上回るものとなった。
 だがここへきてやや情勢が変わってきた。「人気下降」「バブルがはじけた」などとマスコミは表現し、クラブは壁につき当たったような気分に陥っている。Jリーグの将来性に疑問を感じはじめた関係者も少なくないはずだ。

 ここで最も大切なのは、「自分を見失わない」ことだ。Jリーグ、そしてその理念は何なのか。クラブとは何か。地域社会のなかでどんな役割を担っているのか。それをもういちどしっかり見つめ直すことだ。
 ブームに乗っているときには何をやってもいい結果が出る。しかしそれが去ったとき、問われるのは地に足がついた活動ができるかどうかだ。Jリーグは、そして各クラブは、自分の足で立ち、自分の頭で考えて前進する「大人」にならなければならない。

 「サッカー手帳」では、自立したサッカー選手になるために、少年たちにまず自分の心と体を見つめようと説いている。自分自身が何であるかを知ること、それが自立の第一歩だ。

(1995年1月31日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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