サッカーの話をしよう

No.72 観客の視線をさえぎるもの

 パリのパルク・デ・プランスというスタジアムで初めて試合を見たのは、20年近く前のことだった。
 8月末の夜。20歳のミシェル・プラティニがプレーするフランス代表は、未熟ながらも大きな未来を感じさせた。しかしそれ以上に私の心をとらえたのは、スタジアムの憎いばかりの演出ぶりだった。

 息づまる前半戦を終え、ハーフタイム。観客は、背伸びをし、トイレに立ち、前半戦のプレーぶりをああだこうだと話し合う。そして後半戦に備えて選手が入場する。観客は再び席につき、キックオフを待つ。
 両チームの選手たちがポジションにつき、レフェリーの笛を待つばかりになったとき、スタンドを覆う屋根につけられた観客席用の照明がさあっと消える。すると、美しいカクテル光線のなかに、鮮やかな緑のフィールドが浮かび上がる。そして笛が高らかに鳴り、試合が再開される。
 前半のキックオフのときにはまだ周囲が明るく、気づかなかったが、まるで映画館にいるような感覚だった。これによって、スタンドはハーフタイムの「解放感」から、一気に試合の興奮へと戻っていった。
 スポーツといっても入場料をとって観客に見せるものである以上、見やすさや快適さばかりでなく、「ショウ」に没頭できる環境をつくり出すことは大事なこと。スタジアムは「劇場」と考えられなければならないのだ。

 では20年後の日本、どれだけこのことが意識されているだろうか。
 東京の国立競技場の試合で、メインスタンドの前、チームベンチの後ろにやたらたくさんの人を見ることがある。それらの人はIDカードをぶら下げ、役員ということになっているが、いったいどんな仕事をしているのだろうか。
 最近、国際サッカー連盟(FIFA)は「試合中、ピッチの周囲には、両チームのベンチにはいるサブ選手とチーム役員のほかには数人の保安担当者あるいは救急補助役員以外の人間がいる必要はない」という見解を出した。日本だけでなく、世界中でわけのわからない「役員」がはびこっている証拠かもしれない。
 もちろん、FIFAが言いたいことは、観客の邪魔になる(視線をさえぎるだけでなく集中を妨げる)人間を観客席の前に出すなということだ。サッカーの試合という商品を売っている以上、それを最大限楽しんでもらうようにしなければならない。
 世界のどこに、上映が始まってから職員にスクリーンの前を歩かせる映画館があるだろうか。サッカー場で行われているのは、まさにそうしたことなのだ。

 FIFAは、より楽しく試合を見てもらうために座席や場内放送システムの改良、テレビの大型スクリーンにもなる電光掲示板の設置など施設の改善や、駐車場や交通機関などスタジアム周辺の整備への努力も必要だとしている。
 こうした大きな予算を必要とするものをすぐに実現するのは難しい。だが有料試合を見せるスタジアムの「劇場」としての方向性だけは見失わないようにしなければならない。

 そしてすぐにできることは、次の試合からでも実行しなければならない。観客席から見えるところに無用のスタッフや役員を入れないこと。必要な役員も、観客のじゃまにならないように気を配ること。
 運営の工夫ひとつで、観客はもっともっと試合を楽しむことができるようになるはず。有料試合の主催者は、誰が、何のためにお金を払って来てくれているのかを、肝に命じなければならない。

(1994年9月27日=火)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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