サッカーの話をしよう

No.54 パスポートは見ない

 「プロ・サッカーチームの監督というのはね、選手のパスポートを見てはいけないんだよ」
 私が敬愛するクロアチア人監督トミスラフ・イビッチ(60)の言葉だ。

 この言葉を聞いた87年秋、彼が指揮するFCポルト(ポルトガル)は欧州のトップクラブで、たくさんのスターと若手のホープをかかえていた。そのなかから11人を選ぶことの難しさについて話していたときの言葉だった。
 「どんなにたくさんの有名選手がいても、必ずベストの11人が存在する。監督がすべきことは、国籍や年齢(つまりパスポートに記載されている情報)などは無視し、その11人を正しく見抜き、それに正直になること」
 これが彼の本意だった。

 いまJリーグには30歳以上の選手が45人いるが、その約半数は外国人。日本人は25五人にすぎない。一チーム平均2人ということになる。これは、プロのサッカーとしてはやや「異常」な事態ではないかと思う。30歳を超えてプレーできるのは、ごく限られた特別の選手ということになるからだ。

 たしかに、現代のサッカーは体力的な要素が高く、「活動量が落ちても経験でカバーする」という、かつての「ベテラン選手」のあり方は受け入れられにくくなっている。
 だが同時に、戦術面での複雑化にともない、一人前の選手になるのによりいっそうの「成熟」が必要になった。かつては20歳そこそこの選手が世界のトップで活躍することも珍しくはなかったが、現在では23歳以下の選手がチャンスを与えられることは多くはない。Jリーグのように30歳でなんとなく線が引かれてしまうと、活躍できるのはわずか6、7年間ということになる。

 30歳を超してなお若手に負けないスピードとコンディションを保ち、最先端の戦術的要求をこなすことのできる選手がたくさんいないと、リーグは味気のないものになってしまう。
 第1に、選手自身が年齢を気にしないようにする。「もう30だから」という考えは、「自己管理をしっかりしよう」というより、自己弁護、自分に対する甘えの気持ちにつながることが多いからだ。
 第2に、監督、コーチが選手の年齢を忘れることが必要だ。数年単位のチームづくりを考えるときには若い選手を使いたくなるだろうが、原則としては、コンディションや技術、戦術など、純粋に選手としての能力だけから判断しなければならない。
 人間というのは、たくさんの固定観念、偏見に支配されている。どんなに「自由」な人でも、この呪縛から逃れることはできない。だが同時に、知恵によってその固定観念から逃れることも、人間の能力のひとつであるはずだ。
 ポルトガルでは、ブラジル人はなぜか「外国人」扱いされない。だが「外国人選手は3人まで」という規定から、Jリーグでは監督はパスポートを見ないわけにはいかない。しかしそれは表紙だけにするべきだ。選手に生年月日があることなど忘れてほしい。

 残り5節となったJリーグ第1ステージ。このステージ終了後、2人の大ベテランがサッカーシューズを脱ぐ予定だと聞く。アントラーズのジーコ(41歳)とエスパルスの加藤久(38歳)だ。
 ふたりはたくさんの負傷と戦い、自己のコンディションをプロのレベルに保つために血のにじむような努力で自己管理をしながらここまでやってきた。このような選手がたくさん出てこないと、Jリーグは成熟を迎えることはできない。

(1994年5月24日=火)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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