サッカーの話をしよう

No146 根の生えたボランチ

 ページを開いた瞬間、思わずうなってしまった。最近到着したブラジルのスポーツ雑誌である。
 2ページ全面を使った1枚の写真。近くのビルの上からでも撮ったものだろうか、サッカーのピッチのほぼ半分が広がり、2チームが試合をしている。

 試合といっても、どうやら「草サッカー」らしい。ピッチの大半は芝がはげて赤い土が露出し、いいかげんな大きさのペナルティーエリアはあるが、よく見るとゴールエリアがない。ブラジルならどこの町でも見かける光景に違いない。
 だが尋常でないものが右ページの真ん中にあった。青々と葉を繁らせた立派な木が、センターサークルの近くに立っているのだ。

 「根のはえたMF(ボランチ・プランタード)」
 左ページには、そんなタイトルがある。このグラウンドでは、4メートルもある木が「プレーヤー」のひとりと認められているのだ。
 思わずうなってしまったのは、人びとがごく自然にこの木の存在を受け入れ、何の苦痛も感じずにサッカーを楽しんでいる様子にだった。選手がぶつからないように、レフェリーは木のすぐ側に立ってプレーを追っている。

 「タイではね、道路でサッカーをしてるんだよ」
 日本リーグ時代に日立を優勝に導いた名将・高橋英辰(ひでとき)さんから聞いた話を思い出す。
 バンコクの郊外で、高橋さんを乗せた車が突然、渋滞に巻き込まれた。交通量のそう多くない道路だ。
 事故でもあったのかと見にいくと、陸上競技で使うハードルのようなものを路上にゴール代わりに立て、子供たちがサッカーの試合に興じているではないか。だが珍しいことではないのか、「交通止め」にあったドライバーたちは文句ひとつ言うでもなく、おとなしく待っている。
 しばらくして得点が決まった。すると子供たちはさっとゴールを片付け、審判をしていた大人が手を振って待っていた車を次々と通過させる。そして車の列がなくなると、またゴールを持ち出してきて試合を再開するのだという。

 なんとおおらかなことだろうか。ブラジルの「木のボランチ」といい、タイの本物の「ストリート・サッカー」といい、サッカーが生活のなかに根づき、「遊びのスポーツ」として自然に楽しまれている。
 日本サッカー協会は最近「スタジアム標準」をまとめ、小冊子にして配付を始めた。競技環境を向上させるのに、大きな役割を果たすはずだ。
 しかし、日本人はとかく「形」からはいりたがる民族だ。サッカーをやるならまずサッカーシューズを買わない始まらない。グラウンドといえば、競技規則や「スタジアム標準」にばかりとらわれる。

 だが現在の日本に最も欠けているのは、サッカーで「遊ぶ」場の存在だ。学校から帰ってきた少年たちがミニゲームを楽しむことのできる広場、休日に近所の若者たちが気軽にボールをけるグラウンド。
 中央に大きな桜の木があっても、広場の両側にゴールを立てて「サッカーグラウンド」にしてもいいはずだ。「ローカルルール」さえつくれば、十分サッカーを楽しむことができる。
 ブラジルの雑誌の写真を見ながら、私は想像する。ひとりでこのグラウンドにきた少年が、木を相手にドリブルで抜く練習を繰り返している。昼食後にボールをもってきたふたりの青年は、この木を越すボールをけり合って遊んでいる。
 本来なら「邪魔者」のはずの木が、そこではなくてはならないサッカーの「仲間」になっている。

(1996年4月15日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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