サッカーの話をしよう

No107 外国人監督の意見を聞こう中

 1年に2クラブずつ増えて今季は14クラブで戦われているJリーグ。JFLで「Jリーグ準会員」の資格をもつ4クラブのうち2つが、1、2位を占めれば、来季は16クラブの大所帯となる。それを前提とした日程の立案作業がすでに始まっている。

 今季までは「2ステージ制」をとり、2回戦総当たりを2回繰り返してそれぞれのステージの優勝クラブが「チャンピオンシップ」を争う方式。だが16クラブでは1クラブあたり年間60試合にもなり、同じ方式の継続は不可能だ。
 外国の例を見ると、トップリーグのクラブ数は16ないし22で、2回戦総当たり制。20クラブの場合には、1シーズンの試合数は38。今季のJリーグの52という試合数が、いかに大変なものであるか理解できるだろう。

 リーグ戦の日程計画には3つの要素がある。
 第一にはリーグの盛り上げをはかること。「2ステージ制」は、その点で大きな役割を果してきた。
 第二に試合数の確保。クラブの最も基本的な収入源はホームゲーム入場料売り上げだから、試合数(半数がホームゲーム)は多ければ多いほどいい。14クラブになっても2ステージ制が存続させられた最大の原因も、各クラブからの試合数増加の要請にあった。
 そして第三の要素が「強化」である。クラブでの日常のトレーニングで選手の能力を伸ばす。ハードなリーグ戦でそれを発揮させ、実力をつける。そしてその選手で「強い日本代表」をつくる。リーグはその役に立たなければならない。
 この3つの要素をバランスよく取り入れることができたら、それが「適切なリーグ日程」ということになる。だが昨年からの日程決定の経過をからすると、リーグの盛り上げや試合数の確保にばかり目が行っているのではないか。そもそもJリーグが誕生したのは、日本のサッカーを国際的に強くするためだったはず。「初心を忘れている」と批判されても仕方がない。

 強化のためには、日本協会の強化委員会、そしてその現場を預かる日本代表の加茂監督、オリンピック代表の西野監督の意見を聞く必要がある。単なる日程の希望ではなく、強化の考え方と、クラブでの選手強化についての要望を聞かなければならない。

 同時に、各クラブの監督やコーチの考えを聞かなければならない。現在のJリーグには国際的な経験をもった世界の一流コーチが監督として何人も在籍している。日本人選手たちの才能を伸ばし、日本のサッカーを国際的に強いものにするためにリーグ戦はどうあるべきか、彼らに直接発言してもらう。
 クラブの経営とリーグの盛り上げのために、週2試合の日程は大きな効果を発揮してきた。だがそれは本当に強化のために役立っているのだろうか。リーグと代表日程のバランスはどうとればいいのだろうか。

 各クラブのスタッフがちょこちょこっと意見を聞いて自分なりの解釈を入れて報告するのではなく、彼らに集まってもらって、意見を交換してもらう。せっかく世界の一流の指導者が来ていて、しかも日常的に日本人選手たちと接しているのに、現状は「宝の持ち腐れ」状態だ。
 日本代表が国際舞台で活躍し、各年代の代表チームも世界の上位にはいっていこうという現在、Jリーグが強化に果たす役割は直接的となり、これまでになく大きい。「現場」で選手を育て、チームをつくっている人びとの意見を、いまこそクラブ経営者や運営スタッフは胸襟を開いて聞かなければならない。

(1995年6月27日)

No106 タイムアウトを実際に見て

 日本代表が参加したイングランドでの国際チャンジ大会の合間を縫って、スウェーデンで行われていた女子ワールドカップを1試合だけ取材した。6月7日にカールスタットで行われた日本×ブラジル戦だ。
 もちろん女子日本代表の応援という意味もあった。だが同様に興味があったのが、この大会で試験的に採用された新ルール「タイムアウト」の実際を見ることだった。

 試合の途中に監督が試合を止めて戦術的指示などを与える「タイムアウト」の意味については、すでにこのコラム(1995年3月14日付け)で書いた。国際サッカー連盟(FIFA)が女子ワールドカップでこれを採用することを発表したのは、その直後だった。もちろん、タイムアウトを取るかどうかは、監督の任意だった。

 さてスウェーデンでのブラジル戦。前半立ち上がりに1点を先制された日本だったが、その後は野田、木岡、高倉を中心としたパスワークでブラジルを圧倒、すぐに同点、そして前半のロスタイムに相手のミスを拾って逆転に成功した。
 アメリカのキャサリン・ヘップバーン(本名)主審が、後ろから体をぶつける警告もののブラジルの反則をしっかりとっていれば日本楽勝の試合。だが後半、勝利を意識しすぎたのか消極的になり、ブラジル陣に入れない時間帯が続いた。

 日本の鈴木監督が動いたのは後半21分を過ぎたときだった。予備審判に要求すると、ボールがタッチラインを割ったときに主審にプラカードが示される。すると主審は笛を吹いてタイムアウトを宣言した。
 両チームはそれぞれのベンチ前のフィールド内で水を飲みながら監督の話を聞く。日本の仁科選手はこの時間を利用してシューズを履き代える。バレーボールのタイムアウトと、まったく同様の光景だった。

 しばらくすると主審が再び笛を吹く。選手がポジションに散り、ブラジルのスローインで試合が再開される。中断は2分5秒間。その後も日本は押され続けるが、チームは落ちついた。相手が攻め疲れた30分過ぎには攻勢に転じ、最後は危なげなく逃げきった。
 日本を応援する立場からは、このタイムアウトはありがたかった。一方のブラジルも、「せっかくの攻勢に水をさされた」という気配はなく、最後の総攻撃向けて作戦のチェックをしている様子だった。
 すなわち、この試合に限っていえばタイムアウトは不自然ではなかった。タイムアウトがなくても、負傷者の処置などで試合中に2分間程度の中断があることは珍しくない。それと比べれば、「どんな指示をしているのかな」などと考えながら待つことができた。

 3月の記事では、テレビ中継にコマーシャルを入れる時間をつくるという、タイムアウトの「別の側面」を書いた。それゆえに、世界の専門家たちには「カネもうけのためにサッカーを変えてしまう愚行」と、反対する声も多い。
 だが、女子ワールドカップの1試合を見る限り、私には反対する理由はとくべつ見つからなかった。ただ両チームがそれぞれの「権利」(前後半にそれぞれ1回ずつ)をフルに使い、1試合に合計4回ものタイムアウトということにでもなれば、話は別だが。
 しかしこの調子なら、近い将来に正式ルールとして採用の可能性は十分だ。そして最初は監督の「任意」でも、数年後には、あるいは大会によっては、しっかりとCMを入れる時間をつくるために「義務」になるのではないか。
 大会の全試合を通じて、FIFAはどんな結論を得たのだろうか。

(1995年6月20日)

No105 日本にチャンスを与えたのはフーリガン?

 ロンドン、リバプール、ノッティンガムと転戦するうちに日本代表が国際的に大きな評価を得た「国際チャレンジ大会」。この機会を日本に与えことになったのは、悪名高きイングランドの「フーリガン」だったと書いたら、読者の皆さんは驚かれるだろうか。

 この大会は、来年イングランドで開催される「欧州選手権」のリハーサル大会として企画された。今回使用された5つの会場は、いずれも来年の会場だ。
 イングランドでは、サッカー・スタジアム内外で乱暴な行為を働く「フーリガン」が80年代に社会問題化した。英国政府は、その解決のために「96年までに観客席をすべて個席にする」ことを法制化した。
 イングランドではスタジアムはクラブ所有。その大半は、この法律ができるまで大きな立ち見席をもっていた。若いサポーターにきてもらうために、安い入場料で詰め込める立ち見席が必要だったのだ。

 しかし英国政府は、サポーターを詰め込んだこの立ち見席こそ、フーリガン騒動の元凶だと判断した。
 詰め込むから事故が生まれる。サポーター同士のケンカの元になる。無秩序だからフーリガンを排除することができない。個席にすれば安全だし、札付きのフーリガンを締め出すことも可能となるはずだ。
 今大会使用の五スタジアムは、いずれもその法律に従って大改修が終わったものばかり。その美しさに、日本の取材陣からは感嘆の声が絶えなかった。
 当然、各クラブは改修のために多額の資金を必要とした。96年欧州選手権はその出費を取り戻すための開催という要素が強い。

 少し長い話になったが、「国際チャレンジ」はこうした経過で生まれた大会なのだ。そしてこの時期ヨーロッパの国々は欧州選手権の予選をかかえていることから、「リハーサル」はグローバルな大会にしようということになり、世界チャンピオンのブラジルと、急成長するアジアの代表として92年アジアカップ優勝の日本が招待されたのだ。

 では、「全個席スタジアム」にすると、どんな影響があるのだろうか。
 プラスの要素は、もちろん、すべての観客が快適に試合を見ることができるようになったことだ。
 マイナスの第一は、収容数が大幅に減ったことだ。かつては5万人クラスのスタジアムだったのが、全個席に改修後は3万5000人程度というところが多い。そして第二が、「サポーターの危機」である。
 声を合わせての応援はある。歌声もときどき聞こえる。しかし、かつて世界のサッカーファンが夢のようにあこがれたあのカラフルなスタンド風景はすっかり姿を消してしまった。すべて座席指定の個席だから、サポーターは分断され、まったく迫力がない。

 世界のスタジアムは、全個席の方向にある。それは観客の快適さだけでなく、フーリガンを締め出す、保安の行き届いたスタジアムにするためなのだ。
 しかしその結果は、パフォーマンスと歌声で楽しくカラフルな雰囲気をつくり出してきた「サポーター」が消滅した、味気のない試合である。
 Jリーグでは、「立ち見席」を容認している。現在のところ、悪質なフーリガンがいないお陰だ。
 日本のスタジアムを立ち見席のある楽しいものにしておくためにも、クラブとサポーターはともに「フーリガン化防止」の努力を怠ってはならない。
 英国と同じ事態になったとしても、日本に「欧州」選手権をもってくることはできないのだ。

(1995年6月13日)

No104 伝統に根付いた当たり前のこと

 ロンドンで1冊の小冊子を買った。「身体障害者サポーターガイド」(サッカーブック出版社発行)。主として車椅子を使うサッカーファンのための各クラブの受け入れ態勢のガイドブックだ。

 車椅子がはいる場所はスタジアムのどこか、ホームとアウェーでそれぞれ何台はいれるか、付き添いは可能か、身体障害者、付き添い人の入場料はいくらか、車椅子用のトイレはどこにいくつあるか、目の不自由な人が試合を楽しむ設備はあるか、予約は必要か、問い合わせの電話番号は。この8項目について、英国中の全プロクラブが寄せた回答が載せられている。

 1960年代にイングランド・リーグのゲームが日本のテレビで紹介されるようになったとき、車椅子のファンがグラウンド近くに陣取っているのに新鮮な感動を覚えた。
 当時、日本では町なかで車椅子を見かけることなど皆無に近かった。車椅子というのは、病院や身体障害者のための施設の内部にしかないものだった。ましてスポーツ観戦といえば、体の丈夫な人だけのものだった。車椅子のための施設どころか、劣悪な観客席の施設は、少しでも体の弱い人には耐えがたいものだったからだ。
 そんな日本から見たイングランドのスタジアムの光景は、「豊かな社会」の象徴のようだった。

 それから30年近くが経過した。1080円の固定レートだった1ポンドはいまや145円にまで落ち、英国と日本の「経済力」は完全に逆転した。
 ユートピアのように見えたイングランドのサッカースタジアムも、施設の老朽化や「フーリガン」の登場で、魅力も色あせた。
 だが依然として英国は豊かな文化をもった社会であることを、この「身体障害者サポーターガイド」は雄弁に物語っている。

 日本代表が今晩(日本時間では明朝)ブラジルと戦うリバプール市のエバートン・クラブの項を見てみよう。車椅子の定員は、ホームのサポーターが25、アウェーが5。1台に1人の付き添いが認められる。車椅子を使う障害者は入場無料、付き添いには10ポンド程度の入場料が必要。席の近くに専用のトイレもある。目の不自由な人のためには、解説を聞きながら試合を体験できる席がある。予約が必要である。
 数字にばらつきはあっても、どのクラブも同じような施設、設備を備えていることは、この小冊子をパラパラとめくるだけで知ることができる。
 イングランドでは、目の見えない人も「観戦」にやってくる。それどころか、目も見えず、耳も聞こえないファンさえ、私は目撃したことがある。この話は二年前にも紹介したが、そのファンの隣には付き添い人が座り、手のひらに文字を書いて状況を説明していたのだ。

 この小冊子では障害者を「DISABLED」、目の不自由な人を「BLIND」という、日本では「差別用語」と非難されかねない言葉で表現している。
 だが、言葉でどう言おうと、英国人たちはこうした障害をもった人びとも当然のように社会の一員として扱い、いわゆる「健常者」と同様にスポーツ観戦を楽しむ権利を保証する。
 しかも、それはけっして「美談」ではない。クラブの広報が「○○の施設から×人招待しました」などと宣伝することもない。
 これが「伝統」に根ざした「文化」というものなのだろうか。イングランドのサッカーを見ていると、そうした文化の「香り」があちこちにたちこめているのを、強く感じるのだ。

(1995年6月6日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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