サッカーの話をしよう

No92 95年の期待 オリンピック代表

 プレシーズンマッチで不入りの試合が続出し、Jリーグもテレビ中継が大幅に減るなど「斜陽」がささやかれるサッカー人気。しかし私は、この95年に大きな期待を抱いている。
 アジアの予選を勝ち抜いた3つの日本代表チームがことし世界選手権に出場する。20歳以下のユース代表、17歳以下のU−17代表、そして女子代表だ。
 ワールドユース選手権は3月にナイジェリアで開催の予定だったが衛生上の理由からキャンセルされた。しかしアフリカの国々が大陸内でのこの大会の開催を熱望しているので、代替地で開催が決まるはずだ。
 U−17世界選手権は八月にエクアドルで、そして女子世界選手権は六月にスウェーデンで開催される。

 日本のサッカーは、女子を除くと、68年のメキシコ・オリンピック以来地元開催以外では公式の世界選手権に出場できなかった。アジア予選を突破できなかったのだ。
 しかし昨年、前後するように3つの代表がアジア予選を堂々突破し、自力で世界への扉を開いた。プロの代表ではなかったため大きな注目は集めなかったが、日本のサッカー史上でも特筆すべき出来事だった。
 そしてことし、22歳以下の選手で構成されたオリンピック代表が96年アトランタ大会を目指して予選を戦う。

 オリンピックのサッカーは92年から「23歳以下の世界選手権」として位置づけられている。アマである必要はない。ヨーロッパや南米では大半がプロ。日本でも、Jリーグの若手中心の代表チームが結成され、西野朗監督の下準備を行っている。
 アジアの予選は4段階ある。エントリーした25チームを八つのグループに分けて「1次予選」、各グループの1位が集まって決勝大会を行う。
 年末に予定されている決勝大会では、8チームを4つずつ2グループに分けてリーグ戦、両グループの上位2チームで準決勝、決勝を行う。アジアの出場枠は3カ国なので、準決勝で負けても3位決定戦で勝てば28年ぶりのオリンピック出場が決まる。

 といっても、1次予選にも難敵がいる。タイだ。
 2年前のワールドカップ予選で、カズやラモスの日本代表は1次予選でタイと当たり、2試合やってともに1−0の辛勝だった。
 実は、そのチームの多くが今回のメンバーなのだ。とくに小柄ながら素早い攻撃で日本を苦しめた攻撃陣は、全員が今回のオリンピック代表。タイでは「ドリームチーム」と呼ばれるほどの期待を集めている。

 日本も、小倉(グランパス)などそうそうたるメンバーが並んでおり、けっして力負けすることはない。問題は前園(フリューゲルス)だ。
 前園は、今回のダイナスティカップで加茂監督の日本代表の攻撃陣のエースであることを証明した。5月のキリンカップ、そして6月にイングランドで行われる国際大会でもぜひほしい人材のはずだ。
 しかし日本協会強化委員会はことしはオリンピックを優先し、前園には予選に全力を注がせる意向だ。
 タイ、チャイニーズタイペイ(台湾)と組む1次予選は5月下旬から6月中旬にかけて日本とタイを舞台に行われる。

 ユース、U−17、女子と予選を突破した。ことしはオリンピック代表が続く。そしてその成果は、97年に予定されている98年フランス・ワールドカップへとつながっていく。
 1995年、「熱狂」は去ったが、日本のサッカーは確実に「世界」への歩みを進めている。

(1998年2月28日)

No91 高田静夫 次代を勇気づける

 日本人として初めてワールドカップで主審を務め、国内で長い間「ナンバーワン」といわれてきた高田静夫審判員(47)が、今年度のJリーグの審判員にノミネートされていないことが明らかになった。トップクラスの試合からの事実上の引退である。

 東京教育大と、できたばかりの読売クラブ(現在のヴェルディ)でプレーした高田さんは、26歳で選手を引退して審判員の道にはいった。日本のトップクラスである「1級」に登録されたのが80年。84年に国際審判員となった。
 東京でスポーツ店を経営しながらの21年間の審判生活に、感謝とねぎらいの言葉を贈りたい。

 日本人では、丸山義行さんが70年のメキシコ・ワールドカップで線審をしたが、主審は86年大会の高田さんが初めて。スペイン×アルジェリア戦だった。だがこの試合は負傷者が出てリズムが狂い、自信を失って帰国した。
 しかしその後も努力を重ね、90年イタリア大会に再び選ばれる。そしてユーゴ×UAE戦で主審をし、線審も決勝トーナメントのイングランド×ベルギー戦を含め3試合務めた。
 高田さんのきびきびとした審判ぶりは非常に高い評価を受けた。大会途中で多くの審判が帰国を命じられるなか、最後まで「候補」としてイタリアに留まったのは、レコードブックには残らない偉大な記録だ。

 選手時代はスピードのあるMFだった高田さん、審判になってからはさらに厳しく自己を律し、常に万全の体調で自信あふれる笛を吹いた。
 しかし学生時代の古キズであるヒザと腰の状態がここ数年良くなく、2年前にも引退を申し出た。日本サッカー協会の浅見俊雄審判委員長に慰留され、痛みと戦いながらのJリーグ2シーズンだった。
 「トレーニング量は減らっていないし、体力的に落ちたわけではない。それより、自分自身で納得いく試合が少なくなってきたことが、(引退を)決意した理由でした」(高田さん)

 高田さんクラスになっても、「百パーセント完全な笛が吹けたことは一度もない」というほど、サッカーの審判は難しい。
 日本の審判は、世界的に見てもけっしてレベルは低くない。しかし審判になろうという若い人が非常に少ないことは大きな問題だ。若くやる気のある審判がいても、彼らを指導する人が絶対的に欠けている。
 高田さんは今後、そうした後輩の指導に当たる。審判を取り巻く環境の理解を深め、改善していく仕事もするつもりだという。
 現在、審判の「セミプロ化」などの調査に、欧州各国を回っている高田さん。3月末には、サウジアラビアでの「審判インスタラクター」研修会に、やはりことし「引退」した舘喜一郎さんとともに参加する。

 21年間の審判生活のなかで、高田さんが国際的な審判員として大きく伸びるきっかけになったのが、84年12月のアジアカップ決勝大会だった。そのとき、シンガポール人のスパイヤーという大先輩が、
 「多少の失敗は気にしなくていい。とにかく、自分のもっているものを出しなさい」
 と言ってくれた。
 この言葉ですうっと気が楽になった高田さんは、英国人の審判インストラクターから「パーフェクト」と絶賛されるレフェリングをすることができたという。
 自身「インストラクター見習い」と言う高田さんだが、スパイヤーさんのように若い世代を勇気づけ、ワールドカップの決勝を吹くような審判員を育ててくれるに違いない。

(1995年2月21日)

No90 浦和の入場券地元優先販売

 先週、「ジェノバ事件は他人ごとじゃない」というタイトルの記事のなかで、「すべての観客コントロールは、入場券の販売から始まる」ことを指摘した。この件に関連して、浦和レッズから興味深い話を聞いたのでご紹介しよう。
 レッズでは、2年前、93年の第2ステージから入場券の「地元先行販売」を行っているという。

 そもそもの始まりは、ホームの駒場競技場が1万人しか収容できず、「見たくても入場券が手にはいらない」状態が続いたことだ。
 レッズは「地域社会に健全なレクリエーションの場を提供する」ことをクラブの活動理念のひとつとして掲げている。
 Jリーグの試合は地域の人びとのためのものだ。発売と同時に売り切れるのはクラブにとってはうれしい限りだが、オンラインのコンピューターを使って全国いっせい発売するチケットサービス会社に任せっきりでは、何のための「地元」かわからない。だから数は限るが地元先行販売することにしたのだという。

 最初は抜き打ちで販売した。地元紙や全国紙の県版の協力を仰ぎ、「本日10時より××で販売」の記事を載せてもらった。
 とはいっても、出せるのは1試合あたり2000枚。ものすごい行列ができ、あっという間に売り切れた。長時間並んでくれているファンに「ここまでです」と断るのが辛かったという。
 それに懲りて、2回目、昨年の2月には、電話予約の回線を160本用意し、番号を抜き打ち告知する方法をとった。当日は大雪。並んでもらう方法でなくてよかったが、回線はあっという間にパンクした。

 そこで、NTT埼玉本部とチケットぴあとの協力で開発したのが、「自動抽選システム」だった。
 コンピュータメーカーから転職してきた畑中隆一氏がクラブにいたことが幸運だった。システムに強い畑中氏とNTTからの提案が練りに練られ、「電話で申し込みを受け付け、後日抽選結果を知らせる」という新システムが生まれた。
 埼玉県内の電話からしか抽選に参加することができず、当選を知らせた後に本予約をすることで当選番号をもらう。そして最寄りのチケットぴあで入場券を引き取る。
 昨年の第2ステージから導入されたこのシステム、ことし2月の申し込みも混乱なく受け付けが終了したという。
 ことしの第1ステージはやはり収容1万の大宮サッカー場が中心なので、先行販売にかけられるのは1試合あたり2000枚。去る10日の締め切り日までに、15倍の競争率となる1試合あたり3万枚の申込みがあったという。
 これ以外の分は、「一般販売」として、他のクラブと同様、全国同時発売のチケットサービス会社で2月26日から売りに出される。「地元先行」で外れたファンは、この一般販売にまたチャレンジすることができる。つまり地元のファンにとっては「ダブルチャンス」ということだ。

 先週の記事は、観客を把握するための入場券販売方法の再考を求めたものだったが、この「自動抽選システム」を使えば、「誰が」買ったのか追跡することは可能だ。
 もちろん、レッズの「地元のための試合」という考え方は、Jリーグの理念に則った重要なポイントだ。
 不思議なのは、この「レッズ方式」を真似するクラブがないということだ。レッズ以外のJリーグ・クラブはみんな「全国区」を目指しているのだろうか。それとも、「売れるのなら、どこの誰でも同じこと」と考えているのだろうか。

(1995年2月14日)

No89 ジェノバ事件は他人ごとではない

 イタリアのジェノバで起きたサポーター同士の殺人事件は、世界に大きなショックを与えた。そして残念なことに、この事件は日本のサッカー界にとって「他人ごと」ではない。というより、明日にも、Jリーグの試合で起こっても不思議はないのだ。

 日本のサポーターが悪いという話ではない。
 細かなトラブルはあっても、Jリーグを中心に誕生したサポーターたちはまだまだ常識を失っていない。外国の「フーリガン」化の歴史などを教訓とし、自分たちでコントロールしている例も少なくない。
 世界で最も新しいプロサッカーリーグとして誕生したJリーグ。「ジャパンマネー」でのスター獲得ばかりが話題となっているが、世界のサッカーにとってそれ以上に重要なのは、平和そのもののスタンドだ。
 このリーグではサポーターが心からチームを愛し、サッカーを楽しんでいる。それは、世界に向けて日本のサッカーが最も誇るべきメッセージである。

 心配なのは、肝心のクラブ側がサポーターたちをまったく把握できていないことなのだ。
 どんな組織があって、誰がリーダーで、どんなメンバー構成になっていてどんな活動をしているのか。どういう手段で入場券を入手し、試合の日にはどんな活動をするのか。
 こういうことをしっかりと把握しているクラブがいくつあるだろう。その必要性を感じていないクラブも多いのではないか。
 日本リーグ時代には、スタジアムにきてくれる人はすべて同質の「お客さま」だった。しかしJリーグ時代のサポーターはまったく異質を観客をもたらした。
 サポーターは試合の雰囲気を盛り上げるのに欠くことのできない「主役」のひとつだ。と同時に、かつては思いもかけなかったトラブルの危険性をもった「諸刃のやいば」でもある。

 これまでのようにサポーターの自主性に任せておいていいのだろうか。トラブルが起きないように、各クラブも研究し、対策を立てておく努力が必要なのではないか。
 リーグの動向を見ていると、サポーターのトラブルを未然に防ぐというより、クラブの経営ばかりに目が行ってサポーターなど忘れてしまったのではないかと思える例も目につく。
 あるクラブでは、これまで自由席としてアウェーのサポーター席となっていた片方のゴール裏を指定席にしてしまった。自由席はこれまでホームチームのサポーターが占領していた場所にしか用意されていない。このクラブは、両チームのサポーターをいっしょにしようというのだろうか。

 サポーター席の配置とともに重要なのは、どんな観客がくるかを把握することだ。クラブは入場券販売システムを再考しなければならない。
 オンラインのチケットサービスで、誰に売っているかわからない状況ではいけない。地元のファンやサポーターを中心に売るようにし、相手チームのサポーターには相手クラブを通じて販売するようにしなければならない。
 それによって、初めて誰がくるのかをクラブが把握することができる。サポーターを含めたすべての観客コントロールは、入場券の販売から始まる。

 昨年まで大きなトラブルがなかったといっても、今後ないと誰がいえるのか。サポーターが誰で、どんな人が観戦にくるのかを知らずに運営を続けていたら、いつか必ず大きなトラブルの元になる。
 「ジェノバ事件」は他人ごとではない。その認識をもつことが第一だ。

(1995年2月7日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

アーカイブ

1993年の記事

→4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1994年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1995年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1996年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月