サッカーの話をしよう

No127 スタジアムを満員にする努力を

 「観客席が半分しか埋まっていない巨大スタジアムよりも、小さくても満員のスタジアムのほうが観客にとってもプレーヤーにとってもいい雰囲気である」
 (「国際サッカー連盟ニューズ」91年1月号)
 南米ウルグアイで日曜の夜に最も人気のあるテレビ番組は「エスタジオジェノ(満員のスタジアム)」。空席のないスタンドは、それだけで大きな価値のあることなのだ。

 95年、3年目のJリーグは、大きな「壁」にぶつかったように見えた。
 不安のなかで迎えた1年目は、Jリーグにたずさわる人びと自身が驚いたブームに沸いた。スタジアムはどこも超満員となり、入場券はプラチナチケットといわれた。2年目の昨年、熱狂は去ったが、相変わらず入場券は不足していた。ただ、第1ステージで優勝を飾りながらサンフレッチェ広島のホームゲームでは空席が目立つようになった。テレビの視聴率も前年に比べると下降ぎみだった。

 そして3年目、視聴率はさらに落ち、スタジアムは満員になることが珍しくなった。第2ステージには、多くの試合で当日券が販売されるようになった。
 この間、クラブ数は10から12、14と、毎年2つずつ増え、試合数は倍になった。総観客数は飛躍的に伸びた。個々のスタジアムの拡張などで、1試合あたりの平均観客数は、そう落ちてはいない。
 だが、定員に対する観客数の割合の低下は火を見るよりも明らかだ。Jリーグは「満員のスタジアム」という魅力のひとつを急速に失いつつある。それに対する認識と危機感が、各クラブにあるのだろうか。

 いろいろな報道から推測すると、Jリーグクラブにとり何よりも大きな関心は「収益」にあるようだ。
 プロサッカークラブの運営を通じて1円でも多く収益を出すこと、あるいは、赤字なら、それを1円でも少なくすること。健全なプロスポーツ成立の要件として、それはもちろん大切ではあるが、目の前のものにとらわれていると本当に大事なものを見失う。
 プロサッカーが魅力にあふれた「エンターテインメント」であるのは、そこに「非日常」があるからだ。芸術的と言っていいほど高度な技術、体力、チームプレー、そしてスピリット。それらは、一般のファンにとってまさに「非日常」の感動であるといえる。

 だがそれだけではない。超満員にふくれ上がったスタンドが生む興奮、万を超す人びとがひとつのプレーに上げる叫び、サポーターの歌声。一歩スタジアムにはいったときに五感が感じるすべてが、日常生活からかけ離れたところに観客を運んでくれるのだ。
 96年のJリーグにとって最大のテーマは、スタジアムに再びこのような雰囲気をもたらすことだ。
 「観客が減ったから入場料単価を上げよう」などという考え方は自殺行為に等しい。とにかく、それぞれのクラブが知恵を絞って入場券を売り、スタジアムに足を運んでもらう努力をしなければならない。

 「テレビよりスタジアムを大事だと考えている。スタジアムに何人のお客さんがきてくれるか、それがJリーグの成否のカギだ」
 93年、Jリーグのスタートに当たって、川淵チェアマンはこう断言した。
 その原点を、いまこそ思い起こす必要がある。
 「スタジアムをいつも満員にする」
 目先の「収益」にとらわれていたら、プロサッカーの魅力が死んでしまう。Jリーグと所属クラブが生き残り、本当に定着したものになるために、最優先されなければならない課題だ。

(1995年11月28日)

No126 レベル維持のために入れ替え戦制度を

 再来年のJリーグ参加クラブをどうするか、混乱した議論が続いている。混乱の原因は、「入れ替えシステムの導入」と、「Jリーグの適切なクラブ数」という、本来まったく異質なものをいっしょくたに議論していることにある。

 Jリーグ理事会は、16クラブになった後はJFL上位2クラブとの間で入れ替えを行うことを昨年末に決定した。だが、ことし10月の実行委員会では、これを白紙に戻して検討する方向で話がまとまった。
 「JFLに落ちたら収入が落ち、クラブ経営が破綻する」というのが、各クラブからの代表で構成される実行委員会の多数意見だったと伝えられている。

 リーグの入れ替えシステムは2種類ある。「自動入れ替え」と「入れ替え戦」だ。世界の大多数の国のリーグでは自動入れ替えだ。入れ替え戦は通常引き分けなら残留なので、昇格を目指す側にとっては苦しい。Jリーグ理事会の決定は、最下位は自動降格、15位クラブがJFL2位と入れ替え戦という案だった。

 こうした入れ替えシステムの存在は、リーグの「権威」を守るうえでも欠くことができない。入れ替えを実施することにより、常に頂点のリーグであることが保証されるからだ。
 発足して3年目のJリーグの場合、これまでは参加条件をクリアし準会員として認められたうえで、JFLで2位までにはいったら昇格させる方式をとってきた。10クラブからスタートし、4季目の来年は16クラブのリーグとなる。いつまでも増やすわけにはいかないから、理事会は「16クラブになったら入れ替えを行う」と決めたのだ。
 これに対する実行委員会の考えには、あきれかえってものも言えない。入場券を売る努力もせず、契約プロ選手やスタッフの数、選手の年俸など、切り詰める余地が十分すぎるほどあるものに手をつけず、「経営努力」せずに「落ちたらつぶれるから入れ替えは行わない」などという話を、誰が納得できるというのか。

 現在Jリーグの王者は実質上「日本チャンピオン」と認められている。アジアクラブ選手権への出場権を与えられていることでわかるだろう。だがそれは「昇格制度」あるいは「入れ替え制度」によって、強いチームだけがJリーグで戦っていることが保証されているからにほかならない。
 ただし、入れ替えを行うに当たっては、チームの成績が順位にきちんと反映されるものに勝ち点制度を変更しなければならない。
 だが来年度に入れ替えを行うかどうかは、まったく別の次元の話だ。これは、日本サッカーの全体の構造のなかで、Jリーグは何クラブで実施するのが適当かの判断によるからだ。
 クラブを支えるホームタウン環境(観客動員とスタジアム)。トップクラスの選手と審判の人数。リーグと日本代表の日程の両立。マスメディアとの調整。多くの要素がからむ。

 すべてを考慮に入れたうえで16が適当という判断なら、来年度から入れ替えを行わなければならない。だが18のほうがいいという結論であれば、入れ替えの実施は早くても再来年ということになる。
 個人的な意見では、マスメディアとの調整以外、18クラブにしても十分やっていけるはずだ。「1日に9試合では、全試合をカバーし報道するのが困難になる」というのがマスメディアの意見だが、対処の方法はいくらでもある。
 遅かれ早かれ入れ替えは実施しなくてはならない。いま必要なのは、日本のトップリーグの適切なクラブ数が16なのか18なのかの議論であるはずだ。

(1995年11月21日)

No125 フットサル人気急上昇

 去る11月9日、日本サッカー協会は来年2月に「第1回全日本フットサル選手権大会」を開催することを発表した。
 「フットサル」とは、1チーム5人制のミニサッカーのこと。古くから世界の各地で、それぞれ独自のルールで行われていた。

 日本でも、1977年に「ミニサッカー連盟」がつくられた。だが協会はあまり関心を示さず、連盟は乏しい資金で必死に普及活動を続けてきた。
 ところが、国際サッカー連盟(FIFA)が88年に「ミニサッカーもサッカーのうちなので、各国の協会がしっかりと統括するように」と通達を出し、「ファイブ・ア・サイド」(5人制)サッカーという名称の下、初めてルールを統一した。そして翌89年1月には第1回の「世界選手権大会」をオランダで開催、日本も参加した。
 FIFAはさらに昨年、この競技の名称を「フットサル」と改めた。ブラジルをはじめとしたラテン系の国々では、ミニサッカーは「室内サッカー」を意味する「フットボール・デ・サロン」と呼ばれてきた。それを縮めた名称だ。
 こうしたFIFAの動きを受けて日本協会がようやく重い腰を上げたのが「日本選手権」なのだ。

 ピッチの広さはテニスコート程度。ゴールはハンドボール用程度。ボールは通常小学生が使う大きさのもの。1チーム5人で、20分ハーフだが、交代はいつでも自由。しかも何度でも出場できる。
 要するに、「いつでも、どこでも、だれでも」サッカーを楽しむというのが、フットサルの精神ということができるだろう。

 チームゲームをするのはなかなか面倒なものだ。サッカーなら、1チーム最低11人そろえなければならない。手軽に楽しむというわけにはいかない。
 さらに大きな問題はグラウンドの不足だ。競技人口の伸びに、グラウンド数がついていけないのだ。とくに都市部において、この問題は深刻だ。
 そうした悩みを、フットサルは一気に解決する。もちろん、「大きな展開」や「激しいプレー」はできない(スライディングタックルは反則となる)。だが、パスを出して走る、ボールを受けて相手をかわす、GKの逆をとってシュートを決める、相手のプレーを読んで守るなど、サッカーの魅力の多くを、十二分に楽しむことができる。
 Jリーグに刺激されて自分でもボールをけってみたくなった人たちを吸収し、フットサルはことし1年間で専用コート数や競技人口を飛躍的に伸ばした。人気低下ぎみのテニスコートをフットサル用につくり直した民間のスポーツ施設も少なくない。

 ブラジルでは「サロン」出身の名選手も数多い。ジーコもそのひとりだ。彼の身のこなし、ボールとハーモニーを保ちながら相手の逆をとるプレーの基礎は、すべて「サロン」で身につけたものだ。
 だが、これまで高校や小学生の「全国大会」が果してきた役割を見れば、「全日本選手権」は選手の「強化」より、フットサル、あるいはサッカーの「普及」に貢献するはずだ。
 大事なのは「いつでも、どこでも、だれでも」というフットサルの精神を見失わないことだ。「常に男子3人、女子2人でプレーしなければならない」というローカルルールで、「楽しいサッカー」に徹している例もあると聞く。
 コート、ボール、人数など、「公式ルール」にとらわれることなく、町のあちこちで「サッカー遊び」が見られるようになるのが、理想の姿のはずだ。

(1995年11月14日)

No124 アジアクラブ選手権軽視の日本

 10月に私は貴重な体験をした。日本のクラブとアジアのクラブの対戦を4つも見ることができたことだ。
 ヴェルディが出場したアジアクラブ選手権のイースタン(香港)戦とクレセント(パキスタン)戦、フリューゲルスとベルマーレが出場したアジアカップウィナーズ選手権のレンジャーズ(香港)戦とサバ(マレーシア)戦だ。
 相手はアジアの東半分のチーム。Jリーグの激戦で鍛えられた日本チームの実力は一段も二段も上で、日程などの関係からベルマーレ以外はJリーグに出場していない選手を中心にしたチームで出場しながら、いずれも楽勝の内容だった。
 だが一方で、これらの試合は現在Jリーグのクラブがかかえる問題点を浮き彫りにするものだった。

 その第一は観客動員。減ってきたとはいえ、入場券のほとんどが自動的に売れてしまうJリーグの試合に比べ、それ以外の試合は驚くほど売れない。入場券を買ってもらい、なんとかたくさんの観客の前で試合をしようという努力をまったく怠っているからだ。
 平均観客数はわずか3600人あまり。空席が目立つどころか、スタンドにパラパラとしか観客がいない状況は、まるで10年前の日本リーグ時代を見ているようだった。
 入場券を売る努力を放棄したままであれば、これが明日のJリーグの姿ではないと誰が言えるだろう。

 第二の問題点は、Jリーグのときと同じような大げさな場内アナウンスと、一部サポーターの勘違いだ。ガラガラのスタンドに向かって、オーバーに選手を紹介し、ゴールを絶叫するアナウンス。相手チームのプレーにいちいち憎悪を剥き出しにするサポーター。根源は共通している。
 それは、相手が誰かという「想像力」の欠如だ。
 たしかに、試合相手はライバルだが、同時に、日本の強豪と戦うためにはるばるやってきた「勇者」でもあるはず。まずは敬意を払うべきではないか。
 自クラブだけを大げさに持ち上げる場内アナウンスも、相手にひたすらブーイングを送るサポーターも、そうした心はかけらも見られなかった。残念ながら、それは4試合のすべてで共通したことだった。

 もちろん、これは国際試合に限った話ではない。少し前にJリーグに吹き荒れたサポーターを中心としたトラブルは、こうした「精神の貧弱さ」が醸成したスタジアムの雰囲気から生みだされたものだ。
 等々力でのヴェルディ×イースタン戦では、ひどく醜いものに出合った。試合前ゴール裏でウォーミングアップを始めたイースタンの選手たちのすぐ側に数人のヴェルディ・サポーターが寄っていき、威嚇し、嘲笑するような声を発したのだ。アジアサッカー連盟から派遣されてきたシンガポール人のマッチコミッサリーが、たまりかねて、制止をうながすほどだった。

 しかし、最後の平塚のゲームで、私は少しばかり救われた気持ちになった。ベッチーニョに率いられたベルマーレがスピードでサバを圧倒し、5−0の勝利。だが試合終了直後、場内に流れたのは優しい女声のこんなアナウンスだった。
 「健闘されましたマレーシア・サバの皆様に、大きな拍手をお送りください」
 引き揚げるサバのイレブンに、メインスタンドから温かい拍手が送られた。選手たちは立ち止まり、大きく手を振って笑顔でスタンド下に消えていった。
 一方、ベルマーレの選手たちはそれを見送ってからフィールドの中央に並び、スタンドに手を上げた。当然、前にも増して大きな拍手が起こった。

(1995年11月7日)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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