サッカーの話をしよう

No18 U−17日本代表 自信は大舞台で磨かれる

 U−17世界選手権で、日本代表が大検討しベスト8に進出した。国際サッカー連盟(FIFA)の公式国際大会での上位進出は1968年のメキシコ・オリンピック以来のことだ。

 17歳以下、日本でいえば高校2年生、しかも8月以降の生まれの者という年齢制限の大会。日本チームの小嶺忠敏監督は「所属チームでは上に3年生がいるので、中心になっていない選手も多い。それがチームをつくるうえで大きな障害となった」と語る。
 これまで、サッカー界では優秀な選手はなぜか4月から6月生まれが多いといわれてきた。小学校に上がったときに体が大きく、成長も進んでいるので、いろいろな面でリーダーシップをとる者は4月から6月生まれに多い。チームゲームであるサッカーでは、「パーソナリティー」(自分を押し出す力)が一流の選手になる重要な要素。だからサッカーの名手も四、五、六月生まれに集まってしまうのだろう。
 こうしたハンデを乗り越えてベスト8に進出したのは、日本のサッカーにとって画期的なことといえる。ガーナ、イタリア、メキシコという世界の列強を相手に互角の戦いができたことは、大きな自信につながったはずだからだ。

 今大会優勝候補のガーナと戦って0−4と完敗したイタリアの監督は、「ガーナの選手の成熟度は、ヨーロッパのチームの2、3年後をいっている」と舌を巻いた。その「成熟度」は自信からくるものが多い。
 ガーナは前回の91年大会で優勝し、ことしの3月には20歳以下の世界選手権で準優勝を飾っている。今回来日したチームには、前回のメンバーが6人、3月の20歳以下の大会の選手が3人も含まれている。勝てば自信がつく。その自信は、次の大会の選手に引き継がれ、経験と自信にあふれたチームを常につくることができる。
 ジュニアの大会で得られた自信は、大人になって大きくものを言う。21世紀のサッカーはアフリカの時代になると予言する専門家は多い。早ければ1998年にフランスで行われるワールドカップでアフリカのチームが優勝すると見る人もいる。その最大の論拠は、生まれつきの才能がジュニア大会で世界の強豪と争うなかで磨かれ、勝つことによって自信を深めていくという点だ。
 今回の代表選手に負けない才能をもった選手がまだいくらでもいると、ガーナのパハ監督は語る。そしてガーナがジュニアの世界一であることを証明したことは、彼らにも計り知れない自信を与えたという。

 日本のU−17代表が世界の強豪と互角に戦ってベスト8に進出したことは、日本のジュニア、ユース層の選手たちへの大きな励ましになったはずだ。中学や高校のグラウンドでやっているサッカーが世界に通じるものであることを実証したからだ。
 実は、日本のU−17チームが世界大会に出場したのは今回が初めてのこと。学校チームの都合や中学から高校への切り換えなどで準備が十分にできず、アジアの予選で敗退を続けてきたのだ。
 注目もされないアジアの大会で負けて帰ってくることと、世界の大会でベスト8に進出すること。この両者が生み出す精神的な差を考えてほしい。U−17、20歳以下の「ワールドユース」、そして23歳以下のオリンピックに出場することに、もっともっと力を注がなければならない。
 そうした大会に出場してつかんだ自信は、プレーした選手たちに止まらず、日本全国のジュニア選手たちの財産となるからだ。

(1993年8月31日=火)

No17 キックインの実験に意見を

 日本が正確なキック力を誇る財前のロングキックから193センチの船越にヘディングを狙わせれば、ガーナは近くにいる選手に短くつないで攻めを組み立てる。8月21日に東京で行われたU−17(アンダーセブンティーン)世界選手権の開幕戦、両チームは「キックイン」で対照的なやりかたを見せてくれた。
 試合後、ガーナのパハ監督は「背の低いチームには不利。オフサイドがないのもよくない」と不満を表明した。その一方、日本の戦法には、この新しいルールを研究し、得点と勝利のために最大限に生かそうという姿勢が見えた。

 以前も書いたが、従来のスローインの代わりに、タッチラインから出たボールをライン上に置き、キックで中に入れるという「キックイン」は、国際サッカー連盟(FIFA)が実験としてこの大会で導入したもの。進行をスムーズにし、サッカーというゲームをより楽しいものにしようという狙いだ。
 日本チームの戦法は、その意味では狙いと逆行するものだった。キッカーが財前と決まっていたので、ゲームがストップしている時間が長くなってしまったからだ。

 この大会で肯定的な結果が得られれば、FIFAは来年夏、ワールドカップ終了後にキックインを正式なルールにする方針だ。そうなれば、子供からワールドカップまで、すべてのカテゴリーで適用されることになる。
 採用するかどうかの最終的な判断は、もちろんFIFA自身がするのだが、日本のファンやマスコミの反応も、少なからず影響を与えるはずだ。なぜなら私たちは、キックインに関しては世界のファンやマスコミを代表して現場の証人となるからだ。
 ファンの皆さんは、新聞や雑誌の投書でどんどん意見を言ってほしい。賛成、反対、好き、嫌い、ここがいい、こう変えればなど、何でもいい。
 マスコミには、この大会が終わるころに、それぞれ自分の「判定」を記事にしてもらいたいと思う。私はこの大会で報道関係を扱う仕事をしているが、できればそうした記事を集め、英訳してFIFAに渡したいと思っている。

 こうした「実験」は、今回のキックインに止まらない。Jリーグが採用しているリーグ戦での延長サドンデスも、FIFAの許可を得て、実験として導入されている。1シーズンが終わった後、Jリーグはその評価をFIFAに報告することになっている。
 これについても、日本のファンやマスコミは自分の意見を言う権利と、ある意味での「責任」を負っている。Jリーグ担当記者は、先入観にとらわれることなく、5年、10年のスタンスでサッカーにプラスになるかどうかの評価の記事を書いてほしい。そして、できうれば、Jリーグはこうした記事を自らのレポートに添付してFIFAに提出してほしいと思う。

 新しいルールや制度は、FIFAや日本サッカー協会の少数の役員が密室の会議で決定する性格のものではない。世界中のファンやマスコミの考えや意見も、当然意思決定の大きな要素となる。
 サッカーは元来、喜びにあふれたゲームである。プレーする選手たち、スタジアムにくる観衆、そしてテレビで見る人びと。その誰もが、心が豊かになる90分間を共有することが、FIFAや日本サッカー協会、そしてJリーグの願いにほかならない。
 サッカーの世界は支配の体制ではなく、世界を結ぶひとつの大きな家族であるからだ。

(1993年8月24日=火)

No16 U−17世界選手権 21世紀の予告編

 国際サッカー連盟(FIFA)の公式世界選手権のひとつである「第2回FIFA/ビクターJVCカップ U−17世界選手権」の開幕がいよいよ近づいてきた。17歳以下の世界選手権。明日の世界のスターが初めて国際舞台に登場する大会として、世界からも大きな注目を集めている。

 FIFAは1977年に20歳以下の「ワールドユース」をスタートさせ、85年にU−16(後のU−17)を創設、そして93年からはオリンピックを23歳以下の世界選手権として位置づけた。この3つの大会の整備によって、年齢制限のないワールドカップへのステップが完成した。ではFIFAは、これらの大会の開催で何を目指しているのだろうか。

 74年にFIFA会長選挙に立候補したブラジル人のジョアン・アベランジェは、ルールの改正や、アジア、アフリカ、北米などサッカーの「発展途上地域」援助を公約に当選した。この第二の公約実現のために創出されたのが、年齢別の世界選手権だった。
 世界のサッカーのリーダーは文句なく欧州と南米。ワールドカップ優勝はこの二者に独占されてきた。他の地域がその壁を破れなかったのは、主として環境の差だった。前者にはしっかりとしたプロ組織があり、後者には満足な施設もない状態だったからだ。
 このままの状態では、両者の差は開く一方。ユースの年齢別世界選手権を開くことによって「発展途上地域」のタレントに早くからいいコーチを受けさせ、同時に国際経験を積ませてレベルを上げようというのがFIFAの計画だった。

 効果は劇的だった。2年に1回開かれるワールドユースでは、81年大会でアジアのカタール、89年にアフリカのナイジェリア、そして93年にはガーナが準優勝を飾った。
 85年に「U−16」としてスタート、91年から「U−17」となった大会では、第1回大会をナイジェリアが制覇し、89年にはサウジアラビア、91年にはガーナが優勝している。
 ワールドユースでのナイジェリアとガーナの準優勝は、U−17の優勝の数年後。そしてガーナは、このユースの選手を中心としたチームで92年オリンピックで準優勝を飾っている。オリンピックが23歳以下の世界選手権であることを考えれば、アフリカ・サッカーの実力がすでに世界のトップに迫っていることが理解できるだろう。
 90年ワールドカップでは、カメルーンが欧州と南米の強豪を倒してベスト8に進出。FIFAは、欧州の枠をひとつ削って、それまで2だったアフリカのワールドカップ出場枠を、九四年大会から3に増やさざるをえなくなった。

 サッカーは20世紀で最も人気を得たスポーツである。しかし強豪が一部の地域に偏るのは21世紀のサッカーにとって好ましい状態ではない。アフリカ、アジア、北アメリカなどのレベルを引き上げ、ヨーロッパ、南米と競わせることができれば、さらに発展が期待できるだろう。こうしたFIFAの夢は、アベランジェの会長就任から20年を経ていよいよ現実のものになろうとしている。
 今回のU−17でも、優勝候補の筆頭とされるのは前回優勝のガーナ。アジア代表の中国、オセアニアのオーストラリア、そしてアメリカも、上位進出の力をもったチームといわれる。ヨーロッパはポーランド、南米からはアルゼンチンが有力視されるが、楽な戦いはひとつもないはずだ。
 こうした力関係は、21世紀の世界のサッカーの勢力図を予言するものとなるかもしれない。

(1993年8月17日=火)

No15 アメリカの失敗にJリーグが学ぶこと

 入場券がカードを問わずプラチナペーパーといわれるなど、Jリーグのブームはまだ陰りもない。そして外国でも想像以上にJリーグに対する関心は高い。
 海外マスコミやサッカー関係者は、おおむねJリーグを2002年ワールドカップ招致活動と同様、周到な準備に支えられたすばらしい仕事と評価している。しかし一部には、「第二の北米リーグになるのでは」と懸念する人もいる。

 北米サッカーリーグ(NASL)は、1968年にアメリカとカナダにまたがるプロリーグとして誕生、17シーズンの活動後、85年に消滅した。
 サッカーの土壌がゼロといっていい地域で、75年にペレ(当時34歳)を現役復帰させたのを期に大ブームとなり、77年に7万7691人の最多観客を記録、78年には24クラブとなった、だがその後急速に人気は落ち、84年が最終シーズンとなった。
 これまでプロサッカーがなかったところに作られ、しかもジーコなど盛りを過ぎた世界のスターを連れてくるなど、たしかにJリーグはNASLと似た要素がある。しかし両者を細かくチェックしてみれば、根本的に違うことがわかる。

 両者の相違点は、おおざっぱに以下の4点だ。
 第一は、リーグづくりの動機。Jリーグは旧日本サッカーリーグの改革から生まれ、日本サッカー協会が主導権をとった。目的は日本のサッカーを強くすること、サッカーを盛んにすること。それに対しNASLはビジネスマンがつくったもの。プロスポーツはビッグビジネス。アメリカンドリームをかけた男たちが投資家を募り、各地にクラブをつくったのだ。
 相違点の第二はテレビに対する考え方。Jリーグは「テレビは第二義的。スタジアムに観客を呼ぶことを第一としたい」という方針だが、NASLではテレビこそ生命線。CBSネットワークとの中継契約がなければ、NASLは誕生することもなかっただろう。
 第三は国際サッカー連盟(FIFA)との関係。Jリーグ参加チームの経営者たちに強調されたのは、リーグはFIFAと日本サッカー協会の管理下にあるということ。NASLはサッカーを知らない北米の人びとを引きつけるために、ゴールから30メートルまでオフサイドをなくし、独特の勝ち点方式などを採用した。FIFAはこれに強く反発、他国との交流禁止の脅しまでしたが、NASL側は最後まで折れなかった。サドンデス導入に当たってJリーグが何度もFIFAと交渉したのとは大きく違う。
 そして第四の相違点、それは、その国の選手の存在だ。Jリーグでは、外国人選手は登録は最多5人、出場できるのは1試合につき3人まで。しかしNASLでは、アメリカまたはカナダ生まれの選手を1人だけ出場させればいいという規約だった。当時の北米にはトップクラスのサッカーはなかったから、大半をヨーロッパや南米からの貸し出し選手でまかなった。

 こうした流れを見ると、Jリーグが今後どのような方向に行くべきか、いくつものヒントがある。
 まずサッカーを盛んにする、日本のサッカーを強くするという理念や目標を見失わないこと、第二に常にスタジアムをいっぱいにする努力を払うこと、第三に若い世代の育成に努め、日本人選手のなかからリーグをリードするスターを一人でも多く生み出すこと。
 こうした面で、現在のJリーグは正しい方向に進んでいると言っていい。歴史は学ばれるためにある。Jリーグは歴史の教訓を見事に生かしている。

(1993年8月10日=火)

No14 グラウンドに礼をする無礼な男

 夏休みを迎え、全日本少年大会など、各地で少年サッカーが盛んだ。この季節になると、十数年前、サッカー専門誌の編集者をしていたころに受け取った一通の投書を思い出す。
 「私は少年サッカーの指導者だが、子供たちには、いつもボールを大事にしなさいと言っている。しかし先日の貴誌には日本代表の監督が練習中にボールに腰かけている写真が載っていた。私はこれからどう話せばいいのか」
 ボールを「かわいがる」のはサッカー上達の基本。サッカーボールは腰かけたくらいで傷むほどやわではないが、単なるしつけとしてではなく、サッカーをする心構えとしてこうしたことにまで気を配る指導者がいることに、とても感心させられた。もちろんその後は気をつけた。

 少年サッカーの指導者の狙いは人によって違う。将来の日本代表選手を育てたいと夢見る人もいれば、楽しくできればいいと思っている人もいる。そしてもちろん、教育の一環ととらえている人も多い。
 ときどき見かけるのが、一列に並んでグラウンドにあいさつするチームだ。グラウンドを道場とでも考えているのだろうか。こうした儀礼には決定的に欠ける点があるように思う。それは「人間」の存在だ。

 数年前の夏、都内のあるグラウンドで練習していたときのことだ。隣には野球グラウンドがあった。すると、サッカーグラウンドの中央をゆっくりと歩き抜けていく人がいる。野球のユニホームを着た大柄な紳士だった。練習中のグラウンドを横切るのは不作法で礼儀知らずなことだと思うが、誰も彼に文句を言おうとはしなかった。
 その紳士は、私たちの練習を値ぶみでもするように見回しながらゆっくりと歩き、まだ無人の野球場にはいっていった。そして右手で帽子をとり、深ぶかと頭を下げた。彼には、私たちという人間よりも、グラウンドのほうが敬意を払う対象だったのだ!

 青少年に対するスポーツ指導のなかに教育的要素がはいるのを否定するわけではない。むしろこのふたつは不可分のものだと思う。しかしその教育は、少なくともまず、「人間」を大事にすることを教えるものであるべきだと思うのだ。
 試合後、両チームの選手がそれぞれ相手ベンチ前に整列し、キャプテンの号令一下「ありがとうございました」と頭を下げる光景も少年に限らずよく見る。
 だがそうした形式だけの儀礼に、どれだけの「心」があるのか。こうした儀礼は、試合を戦った者同士が互いに尊敬し合う心を育てることができるのか。本部役員や審判へのあいさつは本当に感謝する心を培うことができるのか。
 形式儀礼だけをたたき込まれた選手は、たとえばファウルで相手をケガさせた場合、相手を気づかうより先に主審に頭を下げ、FKがすぐけられないように妨害することばかり考えるようになってしまう。

 規律はなくても、試合をした者同士が心から握手し、肩をたたき合って互いの健闘をたたえ合う姿のほうがずっと美しい。負傷させたと思ったら、プレーが続いていても相手を気づかう選手のほうが、人間としては質が上だ。
 試合には勝敗があるが、それが示すのは数十分間のプレーの結果だけであって人間としての価値とは何の関係もないこと、グラウンドよりもボールよりも、大事なのは人間そのものであること。
 青少年期のスポーツ指導と教育が切り離せないのなら、形式だけの礼儀ではなく、こうした点を彼らに伝えてほしい。

(1993年8月3日=火)

サッカーの話をしようについて

1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

アーカイブ

1993年の記事

→4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1994年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1995年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月

1996年の記事

→1月 →2月 →3月 →4月 →5月 →6月 →7月 →8月 →9月 →10月 →11月 →12月