サッカーの話をしよう

No130 スタジアムを完全分煙に

 Jリーグの誕生以来、日本の各地で急速に高まっているのが、サッカースタジアム建設の機運だ。
 国体の開催によって各地には2万人規模の「総合競技場」があるが、その大半はJリーグの試合の開催基準に遠く及ばない。プロの試合にふさわしい環境もなく、有料試合で「お客様」に来てもらうことのできる施設でもないのだ。
 新しい時代のスタジアムのキーワードは「快適」ということだ。運営側にとって、競技を行う選手やチームにとって、そして競技を楽しむ観客にとって、「快適」なスタジアムでなければならない。豪華である必要はない。だが、あらゆる意味で快適であることが望まれるのだ。

 観客の立場に立って考えてみよう。これまでのスタジアムは、固くて背当てなどない窮屈な観客席、屋根がほんの一部にしかなく、雨が降ればぬれ放題のスタンド、効率の悪い売店、行列ができるトイレなど、観客はいくつもの「がまん」を強いられてきた。
 こんな状態では、本当にサッカーを楽しむことはできない。そのうち、「家でテレビを見ていたほうがましだ」とスタジアムから足が遠のいてしまうだろう。「快適なスタジアム」づくりは、日本のスポーツ環境の問題であると同時に、Jリーグやサッカー界にとっても、「生き残り」をかけた重要な問題なのだ。

 そうした観点から考えてほしいのが、観客席での喫煙問題だ。
 「分煙」が社会の常識となった時代に、サッカースタジアムの多くではいまだに観客席内での喫煙が「公認」されている。先日のJリーグ・チャンピオンシップでも、煙草を吸いながら観戦している人が数多く見受けられた。
 サッカーの試合を見ようとやってきたスタジアムで近くに座った人が無神経に煙草を吸い始めたら、非喫煙者はもう試合どころではない。「快適」とはほど遠い状態になってしまう。
 現在の日本のサッカーには、少年少女のファンが非常に多い。スタンドで喫煙を許している状態は、サッカースタジアムで子供たちに煙草を吸わせていることにも等しい。

 「観客席の禁煙」は、いわゆる「嫌煙権」の問題ではない。「分煙」というのは「禁煙」ではなく、「煙草を吸うのは自由だが、煙や匂いが他人に影響を与えないところで吸いなさい」という考え方だ。東京ドームのように、観客席は禁煙にし、外の通路の一角などに「喫煙コーナー」をつくれば何の問題もない。現在では、首都圏のJRの駅も全部この考え方が取り入れられ、限られた場所だけで喫煙が許されている。
 Jリーグのスタジアムでも、このようにしているところがある。それが完全な形で定着しないのは、どういうわけなのか。
 試合の運営に当たっているクラブや協会は、すでに社会の常識として定着した「分煙」の考え方を知らないのだろうか。それとも、「愛煙家」の気分を損ねるのを気づかっているのか。

 残念なことに、一部の喫煙家たちは、自分が吸う煙草の煙や匂いが周囲の人びとにどれほどの苦痛と不快感をもたらしているか、想像力を働かせることできない。だから、周囲に子供がいる観客席で、平気な顔をして煙草に火をつけることができるのだ。
 だからこそ、試合の主催者はスタジアム内の分煙、すなわち観客席の禁煙を徹底しなければならない。しかもこれは別に大きな出費を伴うものではない。いくつかの吸いガラ入れと、「喫煙コーナー」の表示、そして観客への告知だけで十分こと足りるのだ。

(1995年12月19日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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