サッカーの話をしよう

No121 田口事件

 浦和レッズの田口禎則選手が競技場外でサポーターに暴力をふるった事件(先月23日)は、悲しむべきものだった。

 田口選手に直接取材したわけではないが、マスコミの論調に見られる「思い上がっている」というのは少し見当違いだと思う。むしろ、プレッシャーに対する「弱さ」を感じる。
 プロサッカー選手にとっての「プレッシャー」は試合中だけのものではない。試合を離れても、マスコミやファンが選手の生活にかかわってくるのを避けることはできない。そのプレッシャーに負けて才能を生かしきれなかった選手は、数限りなくいる。

 プレーだけでなく世間の関心の高さでも世界一といわれるイタリアの「セリエA」で、もう20年間近くもトップスターの座にあるフランコ・バレージ(ACミラン)から、こんな話を聞いたことがある。
 「もちろん、プレッシャーはある。でも、このレベルに達した者は、自分の役割を認識しなければならない。プレスやファンに対する責任を果たすから、有名人でいられるんだ。自分自身をコントロールし、他人の役割を守るよう、僕は努力しているよ」
 田口選手のケースは、この「セルフコントロール」を失ったものだったが、その危険性はすべてのJリーグ選手にある。この事件がいい教訓となることを期待したい。

 ところで、この件で不可解なことがある。
 浦和レッズは、田口選手に自宅謹慎を命じ、それとともに「現契約期間内(来年1月末まで)の試合出場停止」処分を決めた。契約満了後の出場停止処分などクラブにはできないから、当然のことといえる。
 不可解なのは、田口選手から事情を聞き、浦和レッズから報告を受けたJリーグ規律委員会の考えだ。レッズの「処分案を適切なものと判断」し、追認して上部機構の日本サッカー協会に伝えたというのだ。(協会の規律・フェアプレー委員会は決定を保留)。
 試合外のことだから、クラブ自身が処分すれば済むことというのが、Jリーグの考え方のようだ。

 これは、Jリーグの責任回避である。
 Jリーグのメンバーは14の加盟クラブだが、クラブの支配下にある選手も、Jリーグはその規約で拘束しており、選手の監督責任はクラブとともにJリーグにも存在する。とすれば、今回のような選手の行為に対して、Jリーグは、クラブの処分とは無関係に、主体的に処分を下さなければならない。それが、リーグ自身の「責任の取り方」にほかならない。

 犯した行為の内容はまったく違うが、4月の中西永輔選手(ジェフ市原)のハンド事件のときにも、Jリーグは「出場停止1試合プラス罰金」というクラブの課した処分を適切とし、独自には何の処分もしなかった。その結果、中西選手は公式にはただ1試合出場しなかったということだけになった。
 クラブの処分案を「追認する」とはどういうことなのか。田口選手の場合も中西選手のときと同じになるとすれば、Jリーグはその監督下にあるプロ選手の行為について、社会に対して何の責任もとらないということになる。

 「ただ罰すればいいというのではなく、選手の更生の道を考える」というJリーグの方針は高く評価できる。4カ月の出場停止が甘いか辛いかということも問題ではない。
 しかし主体的な処分を行わず、クラブと協会に責任を押しつけるかっこうになったJリーグの態度は、すばやい行動を怠った浦和レッズの対処と同様に、失望させるものだった。

(1995年10月3日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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