サッカーの話をしよう

No120 日本代表の日程に異議あり

 先週の水曜日のパラグアイ代表との国際試合は、加茂周監督が指揮をとり始めて以来、もっともがっかりさせられる試合だった。
 1−2という結果の話ではない。監督が就任してから9カ月間、5月のキリンカップで大幅にチームを入れ換えてからも8試合目になるというのに、技術面、戦術面、体力面、そして精神面と、何ら見るべきところがなく、低レベルの試合をしてしまったことだ。

 技術面では、ボールを止める、けるという基本的な技術の精度が非常に低かった。戦術面では、チームとしてどうプレーするかまったく統一されておらず、各個がばらばらにプレーしていた。体力面では、大半の選手に体のキレがなく、パラグアイの動きについていくことができなかった。
 精神面も失望だった。加茂監督は「最後までよくファイトした」と、「がんばり」を評価したが、この日は日本代表としてのプライドや使命感、責任感はまったく感じられなかった。
 ベテランには、「選ばれて当然、先発して当然」というマンネリズムはなかっただろうか。そして若手には、ベテランを追い落としてレギュラーの座を奪い取ろうという、燃えるような野心があっただろうか。

 「加茂・日本代表」は最初は苦戦したが、キリンカップで目指すサッカーができ始め、6月の国際チャレンジ大会(イングランド)では、勝利こそつかめなかったものの高い評価を受けた。8月にはブラジル代表に大敗したが、守りを固めて逆襲に賭けるという戦いでなく、積極的にプレーしてのものだっただけに失望させることはなかった。
 予定どおりとは言えなくても、加茂・日本代表は順調にチーム力を伸ばしてきていた。だがこのパラグアイ戦は「元の木阿弥」の試合内容だった。

 最大の原因は疲れだ。
 日本代表は全員Jリーグの選手。そのJリーグは毎週2試合の日程だ。代表選手たちはこのパラグアイ戦の前週も水曜と土曜にリーグ戦を戦い、日曜の夜に集合した。月、火と2日間練習して水曜に試合というスケジュールだった。
 今回の日本代表があらゆる面で低レベルのプレーをしてしまったのは、準備期間があまりに短かく、疲れをとる時間もなかったことが大きな原因だった。
 本来なら、そうした状態のときにこそ、日本代表としてのプライドや使命感、代表のユニホームを着る責任感などの「モチベーション」(動機づけ)が「最後の頼み」になるのだが、逆に代表試合に飽きているようにさえ感じられた。

 リーグ期間中に代表の日程をはさんでいくのは、強化の面で非常に大きな意味がある。だがその試合は、できうるかぎりいいコンディションで、戦術的にも精神的にもしっかり準備できるようにしなければ意味がない。週2試合のリーグ期間中の水曜日に代表の試合をするのなら、少なくとも直前の週末の試合は外し、1週間を代表ゲームの準備にあてさせるべきだ。
 リーグ日程が週末にしかはいらないイタリアやドイツでも、水曜に代表の試合がはいる直前の週末はリーグを休み、代表の準備に十分な時間を与えている。その試合が、親善試合であろうと、ワールドカップ予選だろうと関係ない。

 10月下旬にも日本代表の試合が組まれている。だが今度は土曜にJリーグがあり、次の火曜にサウジアラビア、そして土曜にウズベキスタンと戦う。サウジ戦は、今回のパラグアイ戦よりさらに1日準備期間が短い。「いい試合」を期待できる要素は、精神面での充実だけ。「最後の頼み」しかない状態なのだ。

(1995年9月26日)
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