サッカーの話をしよう

No118 浅井のオヤジ

 「オヤジさん」。メンバーは誰もがそう呼ぶ。私が選手として登録されている「町のクラブチーム」のチームメートであるオヤジさん、浅井喜八郎さんはことし60歳になった。

 60歳でサッカーをしていること自体は、珍しいことではない。各地には「四十雀(しじゅうから)」と呼ばれるクラブがあるし、旧制高校のOB大会も開催されている。
 しかし浅井さんは、30代半ばでサッカーを始め、現在も20代の選手を相手にプレーするれっきとした「現役選手」である。

 浅井さんとサッカーとの出合いは1970年、長男が「サッカースクール」に通い始めたときだった。
 そのスクールがあるとき「父親サッカー教室」を開催した。「お父さんにもサッカーをやってもらって、子供たちの励みにしよう」という企画だった。
 父を早く亡くし、家業の電気工事に専念してきた浅井さんは、この年になるまでスポーツに取り組んだことがなかった。テニスやバスケット、野球などの球技に強いあこがれをもっていたが、若いころには時間も余裕もなかったのだ。

 浅井さんは小学3年生の長男とともに少年のような心でサッカーに取り組んだ。早朝や仕事が終わってから、ボールリフティングの回数を競い合う毎日だった。
 「父親サッカー教室」のメンバーはやがて「試合をしたい」と言いだし、スクールの若いコーチたちといっしょにチームを作った。それが現在も東京社会人リーグを中心に毎週日曜日に活動する、私のクラブだ。
 やがてサッカースクールの生徒たちは成人し、クラブは「元父兄・元コーチ・元生徒」の三世代で構成されるようになった。浅井さんの長男資夫(よしお)くんもGKとしていっしょにプレーするようになった。

 「父親」メンバーたちは仕事や体力的な問題で次第にチームを離れた。数年前には、最後までいっしょにがんばってきた同じ年の綱川綱三郎さんが、持病が出てコンスタントに出席できなくなった。だが浅井さんは25年間、一選手としてプレーを続けてきた。

 「元気にやってこられたのは、奥さんのおかげ」
 浅井さんはちょっと照れながら話す。屋根裏や床下にはいっての作業が多い電気工事は、肉体的に非常にきつい。この25年間、浅井さんが大きなケガも病気もなくやってこれたのは妻の春子さんが食事や栄養の管理をしっかりとしてくれているおかげだ。
 「サッカーの仲間は年代もいろいろ、職業もいろいろで、ただサッカーをいっしょにやるための仲間だから、日曜日は完全に気持ちを切り換えられる」
 と語る浅井さん。
 「一日のうちひとつでもいいトラップができたり、いいパスが出せれば、それで満足。家に帰って風呂にはいりながらそのプレーを思い出すと、とても幸せな気分になる」
 「毎週毎週、やるたびに感動がある。25年間やってきたけれど、キックひとつにしても、サッカーは年ごとに奥深いものに思えてくる。しかし最近は、Jリーグというすばらしい手本があるので、とても参考になる。もっともっとうまくなりたい。必要なときにチームの役に立てる選手になりたい」

 クラブには30代後半の選手も少なくないが、浅井さんを見ているせいか、だれも「もう年だから」などとは言わない。「あんなオヤジになりたいな」と、誰もが考えている。
 先週末に、クラブのメンバーは小さなパーティーを開いた。浅井さんと綱川さん、尊敬するふたりの「チームメート」の「還暦」を祝うパーティーだった。
 
(1995年9月12日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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