サッカーの話をしよう

No114 移籍金は違法か(上)

 ヨーロッパのほぼ中心に位置する小国ルクセンブルク。いまそこで120年のプロサッカーの歴史を揺るがす「革命」が起きようとしている。サッカーの世界では常識といっていい「移籍金」が、法的な有効性を問われているのだ。今週と来週の2回にわたって、この問題を考えてみたい。

 ことし6月20日、ルクセンブルクに置かれたEC(欧州共同体)の最高裁にひとりの男がやってきた。ベルギー人のプロサッカー選手ジャンマルク・ボスマン(30)。現在所属クラブなし。彼はこの日、欧州サッカー連盟(UEFA)とベルギーサッカー協会を相手に約8000万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。大きな波紋を呼んだのは、その理由だった。
 「契約満了後も選手を拘束するサッカー界のルールが、プロ選手としての活動を妨害し、損害を与えた」

 契約期間が満了しても、プロサッカー選手は次に契約するクラブを自由に選ぶことはできない。クラブは選手の「保有権」をもっており、契約を延長することも、他のクラブから「移籍金」をとって「売り払う」こともできるのだ。
 事件の発端は5年前だった。1990年夏、ボスマンはベルギー・リーグのFCリエージュとの契約を満了し、フランス・リーグ2部のダンケルクに移籍しようとした。だが移籍金が折り合わなかったことで、クラブは移籍を拒否した。
 ボスマンはすぐ訴訟を起こした。これに対しベルギー協会は彼を資格停止処分にした。ボスマンは訴訟を取り下げ、別のフランス・クラブに移籍した。だがその後の選手生活はうまくいかず、ついに5年後のことしになって、UEFAとベルギー協会の定める「移籍規定」が違法であるとの訴訟を起こしたのだ。

 イングランドで近代スポーツとしてのサッカーが誕生した当時はすべてアマチュア選手で、移籍にかかわるトラブルなどなかった。だがプロ選手が生まれ、それを中心とした「リーグ」が始まると、大きな都市の人気クラブがいい報酬を用意して次々と選手を引き抜いてしまった。当時のプロ選手は、普通の労働者と同様、契約期間が満了すれば自由に別のクラブと契約することができたからだ。
 これでは小さな町のクラブは弱体化する一方。そこでイングランド協会は選手から移籍の自由を奪い、クラブに「保有権」を与えて力の均衡化、すなわちリーグの人気維持を狙った。1893年のことだった。
 そして、その状況は基本的に現在も変わりはない。国際サッカー連盟(FIFA)の規約は、プロ選手として移籍する場合、移籍元のクラブは移籍先のクラブに当該選手の「トレーニングおよび能力開発費用」を請求することができるとしている。この規約が「保有権・移籍金」の習慣を追認する形となっている。

 プロサッカー選手はクラブと対等の立場で契約をかわす「労働者」ではなく、クラブの「資産」であり、「商品」である。「移籍市場」は「人身売買」の場にほかならない。
 その「違法性」は早くから指摘されていた。とくにECは、その域内での労働の自由の問題(外国人の労働者を制限するのは違法)と関連して、UEFAと激しく対立してきた。
 今回ボスマンが起こした訴訟は、ECにとっては待ちに待った快挙なのだ。多くの専門家は、ボスマンの勝訴は確実と見ている。
 だが「保有権」と「移籍金」は、サッカー界にとっては死活問題。これが禁止されると、選手を育てる者などいなくなってしまう恐れがあるからだ。(続く)

(1995年8月15日)
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