サッカーの話をしよう

No86 王様のためのスタジアム

 現在「インターコンチネンタル選手権」が行われているサウジアラビアの「キング・ファハド・スタジアム」。首都リヤド郊外の荒野の真っただ中に立つ世界でも有数の競技場だ。
 何よりもデザインが奇抜で、しかも個性的だ。砂漠の民ベドウィンのテントを模したという屋根が地上50メートルにそびえ立つ姿は、デザインのもつ重要性を再認識させてくれる。

 そしてその内部設備も、ため息をつくばかりだ。
 豪華で機能的な報道用施設(すぐにでもワールドカップ決勝ができる)。
 4つあるチーム用の設備には、更衣室のほかにシャワールーム、監督室、小教室のようなミーティングルーム、マッサージ室が独立して完備し、それぞれに広大なウォーミングアップルームが付属している。
 医療施設も、検査室、診察室、リハビリ室から、簡単な手術室まである。
 何より関心したのは、選手用の施設にはチームバスがすぐ側まではいることができ、医寮施設もドアを開けると救急車の駐車場があるということだ。
 ミュンヘンのオリンピック・スタジアムの設計者の手によるというこのスタジアム、デザインのすばらしさと同時に、徹底的に追求された内部の機能は、まさに「理想のスタジアム」といっていいものだ。

 だが、試合の日、私は奇妙な感覚にとらわれた。
 「このスタジアムは、いったい誰のためのものなのだろう?」
 大会運営やチームにはこれ以上ない使いやすさをもっている。だが、肝心の観客は?
 観客席は、一応全部個別の座席で、ゆったりと座れる。しかし動物園の檻のような金属の柵がフィールドとの間を隔て、バックスタンド側中央部、陸上のトラックのすぐ外に立てられた国旗掲揚用のポールは、見事に観客席からの視線をさえぎっている。
 一方、西側のメインスタンド中央は、ガラス張りで金色の内装に輝く王室用の特別席に大きなスペースが占領されている。
 両ゴール裏に設置されたビデオスクリーンは、試合前に王室の着席シーンを映した後はただのスコアボードになったきりだった。
 何のことはない。このスタジアムは、王室がサッカーを楽しむためのものだったのだ。7万人の「一般観客」は、雰囲気を盛り上げるための「エキストラ」にすぎなかったのだ。

 もちろん、スタジアムにVIP用の席や設備は欠かすことはできない要素だ。しかしそれはあくまでも一般の観客席のなかのほんの一部であるのが普通だ。
 サッカー・スタジアムの「メインゲスト」は、通常の場合、入場料を払って試合の運営を支えてくれる一般の観客であるはずだ。そのためのスタジアム、一般の観客にとって見やすく居心地のいいスタジアムこそ超一流の施設といえる。
 だがサウジアラビアでは一般の観客の負担する割合は小さく、国王があらゆるプロのサッカー試合のメインスポンサーとなっている。そのためにキング・ファハド・スタジアムのような「ゆがんだ」施設が平気でできてしまうのだ。

 これは日本にとっても無縁の話ではない。
 観客の見やすさよりも運営の都合を優先したスタジアム。広告掲出スペースが観客の視線をさえぎっても平気なスタジアム。数え上げればきりがない。
 それは、「王族のためのスタジアム」と同質の「ゆがみ」にほかならない。
 スタジアムは「誰」のための、そして「何」のためのものなのか、もういちど原点に戻って考えなけばならない問題だ。

(1995年1月10日)
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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1993年から東京新聞夕刊で週1回掲載しているサッカーコラムです。試合や選手のことだけではなく、サッカーというものを取り巻く社会や文化など、あらゆる事柄を題材に取り上げています。このサイトでは連載第1回から全ての記事をアーカイブ化して公開しています。最新の記事は水曜日の東京新聞夕刊をご覧ください。

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