サッカーの話をしよう:No.992 インドの新リーグ

サッカーの話をしよう:No.992 インドの新リーグ

サッカーの話をしよう:No.991 差別との戦いはサポーターとの戦いではない

サッカーの話をしよう:No.991 差別との戦いはサポーターとの戦いではない

No.998 王様ペレ サッカー史に残る1000点目

 今夜のJリーグ第29節甲府戦で、浦和が公式戦1000試合目を迎えるという。
 サッカーで「1000」という数字から連想するのは、「王様」と呼ばれたブラジルのペレ(1940~)。プロの試合だけで1281ゴールという大記録を打ち立てた。
 先週の日本戦で4得点の荒稼ぎをしたネイマールは、22歳の若さでブラジル代表通算40得点となり、サントスFCの大先輩でもあるペレの77得点をしのぐ可能性さえ語られ始めた。ペレがブラジル代表で40得点に達したのはいまのネイマールと同じ22歳のとき。ただしネイマールの58試合に対し、ペレはわずか39試合での40得点達成だった。
 ペレは16歳でブラジル代表にデビュー、翌年にはスウェーデンで開催されたワールドカップで祖国を初優勝に導く活躍を見せ、以後20年間近く「王様」としてサッカーの世界に君臨した。選手としてワールドカップ優勝3回を経験したのは彼ひとりだ。
 そのペレがプロ通算999ゴール目を決めたのは1969年11月14日のこと。にわかに、ブラジル全土が騒然となった。5日後の19日、リオデジャネイロでのバスコ・ダ・ガマ戦には、水曜日で豪雨という悪天候にもかかわらず7万5000人が詰め掛けた。
 そして1-1で迎えた後半33分、そのときがくる。
 自分自身への反則で得たPK。だが彼は「1000点目は流れのなかで」と考えており、最初はけるつもりはなかった。しかし大声援を受けて自らけることを決心する。
 ボールをセットすると、ペレは雑念を振り払うように動きを止めた。バスコのGKアンドラーデも、微動もせずに待ち構える。そしてついにペレが一歩踏み出す。
 「頭ではまだ、失敗したらなどと考えていた。でも体が勝手に動いたんだ。気がついたらボールをけっていた」
 彼はそう回想している。
 リラックスした完璧な右足のインサイドキック。GKの指先をかすめ、きれいなカーブを描いて、サッカー史に残る「1000点目」がゴール右隅に吸い込まれた。
 ゴールに駆け寄り、ボールを拾ってキスするペレ。無数の観客が侵入し、たちまちペレを担ぎ上げた。観客が排除されると、サントスの選手たちだけでなくバスコの選手たちまでもが彼を祝福し、肩車をして場内を一周した。
 ブラジルの人びとは彼がもたらした数多くのタイトル以上に「ペレ」という人間を愛した。それは、ペレが「試合の前の晩は眠れない」という少年のような純粋な心の持ち主だったからだ。
 明日10月23日、ペレは74回目の誕生日を迎える。

(2014年10月22日) 

No.997 海賊プレミアの新たな収奪計画

 「プレミア」が牙をむき始めた。
 世界のスターを集めるイングランドのプレミアリーグ。放映権収入だけで年間1兆円にもなる「金満リーグ」で、公式戦の1節を海外で開催するアイデアが表面化した。
 プレミアリーグは20クラブで年間全38節を行う。6年前には「第39節目」を海外で開催する提案がなされたが、世界中から批判の嵐を浴びてわずか数週間で頓挫した。今回は38節のうちの1節を海外で行うというもの。正式な提案が出たわけではないが、「実現は避けられない状況」と、複数のリーグ関係者が話す。
 ターゲットは主としてアジアと北米だ。アジアでは2003年から2年ごとの夏にプレミアの3クラブが出場する「アジアトロフィー」が開催され、タイや中国などで成功を収めている。アメリカではことしシカゴでマンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリード(スペイン)が対戦し、10万人の観客を集めた。
 プレミアリーグはテレビから年間55億ポンド(約9553億円)という収入を得ているが、その半額に近い24億ポンド(約4169億円)が海外からの放映権収入だ。スペイン、ドイツ、イタリアなど他リーグも追随し、欧州サッカー連盟(UEFA)の主要大会を含めると毎年とてつもない巨額が欧州のサッカー界に流れ込んでいることになる。
 より迫力のある、レベルの高いサッカーを見たいというファンの思いは当然だ。しかしそれに影響を受けて世界各国のプロリーグの人気が低迷し、存立の危機に瀕するとあれば、看過はできない。
 差別という大問題がある。暴力も根絶されてはいない。しかし欧州による世界的なサッカー市場の独占こそ、現代サッカーの最大の問題だ。
 欧州が世界中から一方的に「収奪」している資金がそれぞれの国に還流される仕組みを考えなければ、世界中でプロサッカーが健全に運営できなくなり、世界のサッカーの先細りは必至だ。公式戦の海外開催で新しい収入を生もうというのは、「収奪」を超えて「海賊行為」に等しい。
 今回の「アイデア」はプレミアのクラブオーナーの会合で話題に上った。イングランド国内でも反対の声が上がっている。しかしそれは主として各クラブのサポーターがホームゲームを見る機会を減らされるからという理由。「収奪される側」の立場を理解してのものではない。
 2017年からの次の放映権契約締結に向けて十分早い時期に結論を出さなければならないと、関係者は話す。「海賊」を撃退するのに残された時間は、そう長くはない。

(2014年10月15日) 

No.996 シンガポールの夢の舞台

 来週火曜日、日本代表とブラジル代表を迎えるのは、現在世界で最も新しく、最も先進的な「夢の舞台」だ。
 シンガポールの国立競技場は、4年間の工事期間と日本円にして約1600億円という巨費を投じて建設された複合スポーツ施設の中心に位置し、ことし6月30日にオープンしたばかりなのだ。
 陸上競技の大会も開催できるが、可動式のスタンドを有し、サッカー開催時には収容5万5000人。20分間で開閉作業が完了する可動式の屋根で暑さからも雨からも守られ、屋根のソーラーパネルで使用電力をまかない、観客席の快適さを守るために独特の構造で常に新鮮な空気が流れるようになっている。ピッチにはポリプロピレンが織り込まれ、耐久性に優れる。
 アクセスも群を抜く。都心にほど近いカラン地区に立地し、MRTと呼ばれる都市鉄道で大量輸送できる。1駅はスタジアムに隣接し、1駅は600メートル離れているが屋根つきの専用歩道がある。試合終了20分後に都心のレストランに座っていることも可能だ。
 この国立競技場「第二代」である。初代は1973年に誕生した。
 英国が手放したがらず、第二次世界大戦後もシンガポールの独立は遅れた。63年にようやく英国の支配から離れてマレーシア連邦に加わり、65年に分立独立して「シンガポール共和国」が誕生した。新しい国家のシンボルとなり、青少年に希望を与える国際クラスのスタジアム建設が決まったのは、独立の年の年末のことだった。
 建設資金調達のため政府はスポーツくじを売る会社を設立、66年12月には工事が始まった。しかし悪天候や資金不足でなかなか進まず、完成したのは、着工から6年半も経た73年6月のことだった。
 この旧スタジアムで、日本代表は8戦している。結果は残念ながら2勝1分け5敗。ここでの日本代表の最多得点者は、84年のオリンピック予選4試合で3点を記録した原博実(現日本サッカー協会専務理事)だ。最後の試合は97年3月、オマーンでのワールドカップ予選の前に暑熱対策として行われた地元クラブとの試合。4-0で勝った。
 2007年に新スタジアム建設が決定、この年の6月には盛大な「閉場式」が行われた。しかし新しい建設計画がまとまらず、旧スタジアムの使用は2010年まで続いたという。
 シンガポールの人びとの夢を乗せた新スタジアムで世界のサッカー王国と対戦することになった日本代表。日本のファンには、試合だけでなく、舞台の見事さにも注目してほしいと思う。

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(2014年10月8日)