サッカーの話をしよう:No.1032 Jリーグの理想郷・松本
サッカーの話をしよう:No.1031 なでしこジャパンは全員がMVP
中国の武漢で行われていた東アジアカップで、4チーム中、日本は女子が3位、男子は4位だった。他国のことを心配している場合ではない。しかし私は、中国のサッカーについて考えている。
私が初めて中国代表を見たのは1975年。文化大革命の荒波を経て10年ぶりに国際舞台に立ったのが、香港でのアジアカップ予選だった。
すばらしいチームだった。守備は山東省出身で大柄な主将・戚務生が引き締め、前線では広東省出身で細身の容志行がジョージ・ベストを思わせる華麗なドリブルテクニックで攻撃を切り開く。試合運びは成熟し、北と南の身体的特徴を生かした絶妙な組み合わせは、ブラジル代表の黒人と白人選手の長所のミックスのように思えた。10年後、いや5年後には、アジアの王者になるという印象だった。
しかしその後、中国代表はポテンシャルを生かし切れなかった。ワールドカップ出場は日本と韓国が予選に出なかった2002年大会のみ。それもブラジルなどを相手に3連敗、得点0だった。そして今回の東アジア大会でも、フルメンバーで出場しながら優勝を逃した。
中国で最も人気があるスポーツは、文句なくサッカーである。しかし先日までの世界水泳のようにいろいろな競技で世界を席巻する勢いを見せながら、サッカーだけはどうもうまくいかないのだ。
近年は大富豪が保有する中国クラブの派手さが世界の耳目を引いている。中国スーパーリーグの平均年俸は勝利給抜きで1億円を超すと言われる。しかしがそれが選手たちから世界に出ていこうという意欲を奪っていると、ある中国人ジャーナリストは言う。
そしてクラブの力が強くなりすぎ、中国サッカー協会もコントロールできない状態にある。リーグ期間中の東アジアカップには、協力を渋るチームも多かったという。勝利給が出ない代表でのプレーに消極的な選手も少なくない。
こうした状況にしびれを切らしたのがサッカー好きで知られる習近平・国家主席だ。サッカーでも中国を世界一にすると、競技人口を増やすために小中高の学校でプレー環境を整えようとしている。
武漢滞在中、興味深いテレビ番組を見た。地方のある小学校に真新しいボールやシューズなどが届けられ、きれいな人工芝の張られた校庭で少年少女が楽しそうにボールをけっているのだ。宣伝臭さぷんぷんの映像だったが、底辺拡大への着目は、選手育成システムにばかり注目していた数年前からは変化を感じる。
政治的な後押しでサッカーが強くなるかどうか―。中国サッカーから目を離せない時代がきたのは確かだ。
(2015年8月12日)
武漢へは、上海経由ではいった。
「中国の三大かまど」のひとつとして猛暑で知られる武漢で行われている東アジアカップ。こんな町で8月に大会を開催しなくてもいいのに...と思うが、それはさておく。
上海と武漢は長江(揚子江)で結ばれているが、河口部の上海から中流域の武漢まで飛行機で1時間40分もかかった。およそ1000キロ。中流でも長江は幅1キロ以上あり、大きな船が行き交う。中国の広大さ、奥深さを痛感する。
昭和12(1937)年7月7日の盧溝橋事件を契機に始まった日中戦争で、日本軍は上海から南京を経由し、翌年10月には当時中華民国が政府を置いていた漢口(武漢の一地区)を陥落させた。中国政府を率いる蔣介石はさらに1000キロ奥地の重慶まで逃げた。物資の輸送が難しくなった日本軍は深追いすることができず、戦争は泥沼化する。
長江を渡る長大な橋をバスで渡りながらそんなことを考えていたら、北朝鮮に逆転負けを喫した東アジアカップの男子初戦を思い出した。
文字どおりホイッスルとともに日本は勢いよく攻め込み、前半3分には代表デビューの武藤雄樹が先制点を決める。その後も攻めに攻め、相手を防戦一方に押し込む。しかしやがて日本の動きが落ちてくると、相手が活発に動いてチャンスをつくり出す。
それはまるで、南京から漢口へ、そして重慶へと逃げながら日本軍の疲弊を待った蔣介石のようだった。
サッカーは得点を取り合うゲームである。攻撃やチャンスの数でなく、相手ゴールに何回入れるかで勝負がつく。ゴールは動かないから、戦争ほど複雑ではない。
「6月のシンガポール戦ほどではなくても、チャンスはできていた」と、ハリルホジッチ監督が語ったとおり、立ち上がりの日本の動きはとても良かった。初代表あるいはそれに近い選手が半数近くいて、わずか1日しか練習していないチームには、とても見えなかった。
だが試合は90分間ある。気温34.66度という厳しい環境の下で、途中から動きが落ちるのは明白だった。11人ではなく交代を含めて14人で戦うプランと作戦が必要だったはずだ。相手をたたきつぶす強力な武器(決定力)がないなか、90分間の「補給プラン」を欠くチームが負けるのは半ば必然だったかもしれない。
ただ、サッカーは戦争ではない。終わった試合の結果は変えられないが、失敗を取り戻すチャンスはいくらでもある。準備不足と猛烈な暑さを計算に入れ、残り2試合を賢く粘り強く戦い抜くことを期待したい。
(2015年8月5日)