ワールドカップ が付けられている記事

No.279 試合後に見られる「スポーツ文化」成熟度
1999年8月18日
 夏休み。青少年のスポーツの季節でもある。まとまった休みの期間を利用して、各種の大会が開催される。 そのどこにでも見られるのが、勝って狂喜し、負けて号泣する若い選手たちの姿だ。そしてその姿こそ、青少年...

No.276 サッカーピープルのためのワールドカップに
1999年7月28日
 旅先でのサッカーは楽しい。 初めての「海外旅行」は74年6月だった。もちろん、西ドイツを舞台に行われたワールドカップの取材だ。 とはいっても、ワールドカップもその取材も、今日と比べるとのんびりとした...

No.263 ナイジェリア ホスピタリティーの故郷
1999年4月21日
 先週、私は2006年ワールドカップのナイジェリア開催は考えられないと書いた。インフラの整備がとても間に合わないだろうと指摘した。 しかしそれはサッカーの大会を開催する資格がこの国にはないという意味で...

No.262 ナイジェリアではワールドカップは無理
1999年4月14日
 「スタジアム、トレーニング施設、ホテル、移動手段、すべてが申し分ない。セキュリティの面で心配する人もいたが、何の問題もない。ナイジェリアを開催国に選んだことを、FIFAは誇りに思う」 「これは、アフ...

No.231 エマニュエル・プティ フェアプレーの価値
1998年8月 5日
 フェアプレーの精神は死んだのだろうか。 相手選手がケガして倒れたままなのを見たら、タッチラインの外にボールを出してプレーを止める。サッカーでは「常識」といっていい行為だ。しかし今回のワールドカップで...

No.230 次は私たちの番
1998年7月27日
 「4年後は、きみの国の番だね」 会話の途中でそんな言葉をはさんだのは、フランス98の地元組織委員会(CFO)委員長ミシェル・プラティニだった。 90年イタリア大会以来4年ごとに会うエリアスとコンセプ...

No.229 トゥールーズとフォンテーヌ
1998年6月 8日
  1990年ワールドカップ・イタリア大会が大詰めを迎えたある日、ローマ市内を見下ろす丘の上のホテルでひとつのパーティーが開かれた。2年後に決定する98年大会の開催国に立候補してい...

No.228 ワールドカップ ボールの進化
1998年6月 1日
  ワールドカップの主役、それはもちろんプレーする選手たちだ。FIFA新会長でも、組織委員会委員長でもない。サッカーに生命を吹き込むことができるのは選手たちだけなのだ。 そしてもう...

No.227 ワールドカップ開幕戦はたいくつ?
1998年5月25日
 2年間にわたって予選を行い、決勝大会の組分けが決まってから7カ月。盛り上げられ、焦らされた果てにやってくるワールドカップ開幕戦。しかし世界中の期待に反し、その試合内容は退屈なことが多い。 ワールドカ...

No.226 開幕戦の主審が大会の基準に
1998年5月18日
 ワールドカップの開会式は、オリンピックの開会式のような意義のあるものではない。 オリンピックではすべての出場国のアスリートが集って「平和の祭典」をアピールする。だがワールドカップでは選手はまったく出...

No.225 伝説のカメラマン 真実の瞬間
1998年5月11日
 ワールドカップ決勝戦。世界の十数億人が見守る舞台に出ていくことを許されるのは、両チームの選手、役員と審判団。そして、両ゴール裏に陣取る百数十人のカメラマンだ。 78年アルゼンチン大会の決勝戦は、地元...

No.224 ワールドカップの伝説 クライフの妙技
1998年4月27日
 まさに、「またたく間」の出来事だった。 左タッチラインぎわでゆったりとボールをもった彼は、次の瞬間、マークする相手DFを置き去りにし、鮮やかに縦に抜け出していた。それが、私の初めての「クライフ体験」...

No.223 すばらしき「ワールドカップ人生」(自転車家族)
1998年4月20日
 1994年7月17日、ワールドカップ・アメリカ大会決勝の日。ロサンゼルス郊外パサデナのローズボウル・スタジアムの周りの広大な敷地には、世界中からのファンが「最終決戦」に胸をときめかせながら歩いていた...

No.222 小さなカップに無数の思い、無限の価値
1998年4月 6日
 最も印象的に残っているのは、メキシコ市のアステカ・スタジアムでの86年大会決勝戦だ。 優勝したアルゼンチンの選手たちを中心に、役員やカメラマン、そしてどうはいってきたのか、数百人のファンがフィールド...

No.221 ワールドカップの名称に込めた思い
1998年3月30日
 「ムンディアル」 広報担当の女史は、受話器を取り上げると、すました尻上がりの発音でそう言った。スタジアムの取材許可証をもらいに事務所を訪れていたカメラマンの富越正秀氏と私は、思わず顔を見合わせた。 ...

No.179 フランスめざし笛の予選
1997年2月 3日
 日本代表チームはワールドカップへの道を3月23日のオマーン戦でスタートする。だが4人の日本人が、その1カ月前に「フランス98」の予選の舞台に立つことは、残念ながらあまり注目されていない。 2月22日...

No.173 UAE砂漠の旅 2時間の白昼夢
1996年12月 9日
 アラブ首長国連邦(UAE)のオアシスの町、アルアインにきている。アジアカップ取材のためだ。 「アジア版ワールドカップ」。4年にいちど、ワールドカップの中間年に開催され、アジア中の強豪が集う。アジアの...

No.140 最も遠くからきた記者
1996年3月 5日
 「大洋の島が私を呼ぶ  焚き火の香りが  よみがえる  帰ろう  いつか故郷に帰ろう  フォークランドへ  大洋の島へ」 控えめで、しかも朗々とした声が室内に響く。人びとは話を止め、その歌に聞き入っ...

No.139 ワールドカップ招致活動自体を意義あるものに
1996年2月27日
 「どうなりますかね?」 最近、サッカーに少しでも関心のある人と話をすると、きまって最初に聞かれるのがこの質問だ。 今季のJリーグの行方ではない。オリンピック予選勝ち抜きの成否でもない。もちろん、20...

No.62 光は見えた。しかし世界はまだ扉を探している
1994年7月19日
 52試合で356万7415人。一試合平均6万9000人に近い大観衆を集めたワールドカップ・アメリカ大会。近年の大会につきものだったサポーターのトラブルもなく、非常に平和な大会だった。 4年前のイタリ...

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