ワールドカップ2002 が付けられている記事

No.887 あれから10年
2012年6月 6日
 6月にはいってからときどき、思いだし笑いが出て困っている。浮かんでくるのは、10年前の日々だ。 ワールドカップのアジア最終予選初戦で日本代表がオマーンに快勝した翌6月4日は、2002年ワールドカップ...

No.442 新潟からの幸せな夜
2002年12月25日
 ワールドカップは旅だ。たとえ「ホーム」であっても。 見知らぬ町、見知らぬ人びととの出会い。世界の頂点を目指すサッカーの試合だけでなく、1カ月間のすべてが、「ワールドカップ」という体験なのだ。 200...

No.431 ワールドカップの黒字をtotoに戻せ
2002年9月25日
 「財団法人2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会(JAWOC)」が、73億円もの黒字(残余金)を出す見通しだという。 大会1年前の昨年春には、スポンサー決定の遅れなどで収入の確保が難しい状況...

No.420 がんばれ、テレビ中継
2002年7月10日
 今回のワールドカップで私を最も驚かせたのは、日本中で多くの人がサッカーに熱中したことだった。ワールドカップに、ではない。サッカーに、である。 メディアがあまりに騒ぐものだから、どんなものかと思って見...

No.419 美しきフィナーレ
2002年7月 3日
 美しいフィナーレだった。 6月29日、韓国南部の大邱。韓国とトルコの対戦には、3位決定戦らしい、角の取れた雰囲気があった。いつもは相手にブーイングを浴びせかける赤いサポーターたちも、この日は大きなト...

No.418 トルシエが教えてくれた人間らしい心
2002年6月26日
 「日本代表監督フィリップ・トルシエ」の4年間が終わった。 日本代表の監督として、トルシエほど物議をかもし出した人物はいなかった。攻撃的で歯に衣着せぬ発言は、しばしば大きな問題となり、たくさんの敵もつ...

No.417 心に残る韓国の笑顔
2002年6月19日
 ワールドカップも日程の3分の2、試合数にすると全64試合のうち8割以上の56試合を終えた。残りはわずか8試合。日本では4試合だけである。日本国内の10会場のうち、すでに6会場が全日程を消化してその役...

No.416 会場への道もワールドカップのうち
2002年6月12日
 6月5日水曜日に神戸で行われたロシア対チュニジア戦を見に行った友人から、「スタジアムに着くころには、おなかがいっぱいだった」という話を聞いた。 他のワールドカップ会場でも行われていることだが、神戸ウ...

No.415 JAWOCは自らの手でチケット販売を
2002年6月 5日
 6月2日、釜山のホテルで目覚めてテレビをつけると、NHK・BS放送のニュースが飛び込んできた。 「きょうさいたま市で行われるイングランド対スウェーデンの入場券が、2600枚インターネットで販売されて...

No.414 禁煙ワールドカップ
2002年5月29日
 イギリス政府の健康保健協議会が主催する禁煙キャンペーンへの協力を、政府がイングランド代表チームに求めたことがあった。86年、ワールドカップ・メキシコ大会の直前のことである。 「サッカーの代表チームは...

No.413 23人が決まった
2002年5月22日
 ワールドカップに出場する日本代表23人が決まった。 ことしの準備試合にまったく出場していなかったベテランのDF秋田豊とFW中山雅史が選出され、日本最高のテクニシャンであるMF中村俊輔は選ばれなかった...

No.411 私は9歳~ワールドカップ年齢
2002年5月 8日
 成田空港に向かうリムジンバスのなかで考えた。 このバスに初めて乗ったのは、24年前の5月、78年ワールドカップ取材のためにアルゼンチンに向かうときだった。成田空港は開港してまだ1週間ほどしかたってい...

No.410 入場券送付方法を危惧する
2002年5月 1日
 「ワールドカップの月」がやってきた。今月31日にはソウルで開幕戦のフランス対セネガルが行われ、それから先は、本当にひと息で決勝戦まで64の試合が日本と韓国で展開されることになる。 大会のID発行もす...

No.407 強化推進本部の成功
2002年4月10日
 「そういえば、そんな組織があったな」 名前を挙げたら、こんな反応が返ってくるような気がする。財団法人日本サッカー協会の「2002年強化推進本部」である。 ちょうど2年前、2000年のいまごろは、この...

No.405 長居の教訓~入場の遅れ
2002年3月27日
 「大阪のファンはこんなにぎりぎりにくるのか」 そのときには、そんな感想しかもたなかった。3月21日に大阪で行われた国際試合。ウクライナの国歌が始まっているのに、通路や階段ははまるでラッシュ時の駅のよ...

No.401 FIFAワールドカップのデザイナー
2002年2月27日
 「82年大会で、イタリア主将のゾフの手にカップが握られたときには、本当に感激したよ。今回のワールドカップはどこが優勝するかわからないが、あのトロフィーは、イタリア生まれであり、これからも変わらずにイ...

No.400 ワールドカップとテレビ中継
2002年2月 6日
 ワールドカップの全世界の放映権をもつドイツのメディアグループ「キルヒ」が数千億円という負債をかかえ、倒産の危機に立っているという。国際サッカー連盟(FIFA)は「キルヒからの支払いの大半は終了してお...

No.397 メディアの戦いが始まる
2002年1月16日
 「メディアの戦い」が始まるーー。 天皇杯後、ほんのつかの間のオフを楽しんだ日本代表選手たちは、来週の月曜日、1月21日から鹿児島県で合宿にはいる。6月4日に行われるベルギー戦まで、いよいよワールドカ...

No.391 日本の「予選」はこれから
2001年11月28日
 11月25日(日本時間26日早朝)、第1回ワールドカップの決勝戦が行われたウルグアイ、モンテビデオのセンテナリオ・スタジアムには、初夏の陽光があふれていた。 昨年の3月4日にトリニダードトバゴのポー...

No.381 ワールドカップに課せられたテロ対策
2001年9月19日
 国際サッカー連盟(FIFA)のホームページを開くと、感動的な写真が目に付いた。先週末のドイツ・ブンデスリーガの試合前に、シャルケ04とボルシア・ドルトムントの選手たち、そして3人の審判、計25人が手...

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